覚え書:「書評:ヘラクレイトスの仲間たち 坂口ふみ著」、『読売新聞』2012年12月02日(日)付。




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ヘラクレイトスの仲間
坂口ふみ著
ぷねうま舎
評・岡田温司西洋美術史家・京都大教授)

自己の中に探る宇宙

 「個」の誕生というテーマを長年一貫して問い続けてきた著者が今回たどり着いたのは、意外にもヘラクレイトスである。「万物流転(パンタ・レイ)」で知られる古代ギリシアの哲学者はまた、「わたしは自分自身を探求した」という言葉を残しているという。近代的な解釈を投影した「空想かもしれない」と断りつつ、著者はそこに、後のアウグスティヌスデカルトにも通じる「自己存在の意識の確実さ」を読み取る。主観性や内面性といった、西洋近代の哲学を突き動かしてきたお題目が、今日の思想界でやや分が悪いことも著者は十分に承知のうえである。それらはしばしば「近代の病」とみなされる。
 にもかかわらず、著者があえてそこに立ち返ろうとするのは、確たる理由があるからだ。簡潔にして力強い次の一文に、それは要約されている。「自己へのまなざしは根本的な批判のツールとしても働いてきた」。たとえばソクラテスに典型的なように、己を知るとはまた、「あらゆる現行の権威・知・政治を批判する」ことに通じる。著者によれば、貴族制から民主制へと移行する過渡期に生きたヘラクレイトスにおいても、現行の国制や主導的な知への批判精神は、自己への眼差しと不可分であった。しかも、このギリシアの哲学者にとって、自己を探求するとは宇宙を探求することでもある。「自己の内面の広さと深さに目覚めること、そしてそこに沈潜することが、同時に宇宙の法と根源に至ることである」。自己の探求とは本来、内に閉ざされたものではなくて、他者や世界や宇宙へと開かれたものなのだ。
 「あとがき」で著者は、幾ばくかの自己アイロニーを込めて、自身の仕事を「相も変わらず時局離れのした論文」と呼んでいる。とんでもない。同時代的であるとは、時局に乗りかかることではない。そこからなにがしかの距離をとってきたからこそ、著者の仕事は特異なアクチュアリティを発揮している、と私は思う。
◇さがぐち・ふみ=1933年生まれ。東北大名誉教授。著書に『<個>の誕生』『天使とボナヴェントゥラ』など。
    −−「書評:ヘラクレイトスの仲間たち 坂口ふみ著」、『読売新聞』2012年12月02日(日)付。

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