哲学・倫理学(古代ギリシア)

書評:野田又夫『哲学の三つの伝統 他十二篇』岩波文庫、2013年。

野田又夫『哲学の三つの伝統 他十二篇』岩波文庫、読了。枢軸時代のギリシア、インド、中国で同時に誕生したのが哲学。著者はこの3つの伝統に注目し、哲学の大胆な世界史的通覧を試みる。哲学とは「理性をもって自由に答えよう」とする「世界と人生とについ…

日記:「人生とは個性的に価値あるものと信じて疑わない」からこそ

- アテナイの政治社会へ与えた波紋もさることながら、ソクラテスの登場は、当時の精神的状況を鑑みると、随分な驚きだったのだそうだ。今日でこそ人々は、古くさい日めくりの格言などこころの表面をかすめ去ってゆくにすぎないほどに、人生とは個性的に価値…

日記:コロンビア大学コアカリキュラム研究会(2) アリストテレス『ニコマコス倫理学』

- かくしていま、およそわれわれの行うところのすべてを蔽うごとき目的−−われわれはこれをそれ自身のゆえに願望し、その他のものを願望するもこのもののゆえであり、したがってわれわれがいかなるものを選ぶのも結局はこれ以外のものを目的とするのではない…

書評:坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎、2013年。

坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎、読了。ソフィストのレトリックを退けたプラトンは真実を観よという。しかしレトリック=修辞学こそヨーロッパ精神の要でもある。言葉には限界があるが、人間は言葉を信じる。この二律背反…

覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [大学入制度改革]=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年10月26日(土)付。

- 引用句辞典 トレンド編 鹿島茂[大学入試制度改革] 教育の本質はエロス 文科省には無理な話ソクラテスよ、人間はみな、子を宿している。これは体の場合でもあっても、心の場合であっても、同様にいえることだ。そして、時が満ちると、子をなしたくなる。…

日記:正しく哲学している人々は死ぬこと練習をしているのだ

- 「ところで、正にこのことが、すなわち、魂の肉体からの解放と分離が、死と名づけられるのではないか」 「まったく、その通りです」 「だが、われわれの主張では、魂の解放をつねに望んでいるのは、特に、いや、ただ、正しくてつがくしている人々だけなの…

覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『西洋古典叢書 ヘシオドス 全作品』=中務哲郎・訳」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

- 今週の本棚:本村凌二・評 『西洋古典叢書 ヘシオドス 全作品』=中務哲郎・訳 毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊 (京都大学学術出版会・4830円) ◇偉業の百冊目に刻む「人類の精神の黎明」 あたり前すぎて気づきもしないが、アルファベットは人類最大…

覚え書:「みんなの広場 『無知の知』を友人関係や外交に」、『毎日新聞』2013年02月20日(水)付。

- みんなの広場 「無知の知」を友人関係や外交に 高校生 17(東京都清瀬市) 先哲ソクラテスの「無知の知」という言葉を学校で知った。この言葉は、自分の知恵が完全でないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者…

私は……自国内では、潜在的にあるいは実際に暴力的になりかねない多数派の一員です。

- 私はバラモンで、バラモンとして生まれ、すなわち上層カーストとして生まれ、先に述べた通り、潜在的に暴力的な−−すべてのヒンドゥー教徒が暴力的なのではありませんが−−それでも自国内では、潜在的にあるいは実際に暴力的になりかねない多数派の一員です…

覚え書:「書評:ヘラクレイトスの仲間たち 坂口ふみ著」、『読売新聞』2012年12月02日(日)付。

- ヘラクレイトスの仲間 坂口ふみ著 ぷねうま舎 評・岡田温司(西洋美術史家・京都大教授)自己の中に探る宇宙 「個」の誕生というテーマを長年一貫して問い続けてきた著者が今回たどり着いたのは、意外にもヘラクレイトスである。「万物流転(パンタ・レイ…

2012年12月7日の震度5弱とたま

金曜日、夕刻に久ぶりに大きな地震がありました(2012年12月7日午後5時18分頃 三陸沖地震 震度5弱)。ちょうどその時、今月からはじめたバイトの工場で仕事をしていたのですが、下から突き上げるというよりも、横に大きく長くゆれるなーと思いつつ、かなり驚…

「変われば変わるほど変わらない」。

- 「クソッタレの世の中に噛み付いて生きて行こうとずっと努力してきた。でも、それはもうやめにしよう。クソッタレの世の中だからこそ、傷つき、涙している人たちがいる。俺はその人たちに寄り添いながら生きていこう」(義家弘介『ヤンポコ ーー母校北星余…

智を愛すること、すなわち真の哲学の姿

- 哲学は英語でフィロソフィーと言う。ソフィーは古代ギリシャ語のソピア、ラテン語のソフィアに由来して「智」を意味し、ギリシャ語のフィロスは「愛する」とか「求める」という意味なので、哲学は「愛智」の学と言い換えることができる。今回の講義は、視…

西洋におけるヒューマニズムの源泉となったギリシア哲学においては知性も或る直観的なものであった

- 西洋におけるヒューマニズムの源泉となったギリシア哲学においては知性も或る直観的なものであった。直観的な知性を認めるのでなければプラトンの哲学は理解されないであろう。ルネサンスのヒューマニズムにおいても同様である。デカルトは近代の合理主義…

覚え書:「学びや 中学・高校の先生による特別授業 哲学 斉藤慶典先生」、『毎日新聞』2012年7月2日(月)付。

- 学びや 中学・高校の先生による特別授業 哲学 斉藤慶典先生周りを見てみよう 「当たり前」って不思議 「えっ、それって何」「ふーん、どうして」と思うことがすでに哲学だという話を、全快した。いったいそのとき、そこで何が起こっているのだろうか。 君…

魂の場合は、無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしないからね

- 「ほかでもない」とぼくは言った、「自由な人間たるべき者は、およそいかなる学科を選ぶにあたっても、奴隷状態において学ぶというようなことは、あってはならないからだ。じじつ、これが身体の苦労なら、たとえ無理に強いられた苦労であっても、なんら身…

「ほとんどの人は自分たちの価値基準を再考する必要を痛感することすらない」ことを暴くソクラテスの対話

- ソクラテスはプラトンより四二歳年長であった。職業上は彫刻家であったが、彼が歴史の上に占めている重要性は、哲学思想の進展に及ぼした革新的な影響に存している。彼以前の思想家たちは、物質および宇宙総体の本性に関心を向けていた。そして彼らが外界…

われみずからを知るということがいまだにできないでいる。それならば、この肝心の事柄についてまだ無智でありながら、自分に関係のないさまざまのことについて考えをめぐらすのは笑止千万ではないかと

- もし誰かがこれらの怪物たちのことをそのまま信じないで、その一つ一つをもっともらしい理くつに合うように、こじつけようとしたまえ! さぞかしその人は、なにか強引な智慧をふりしぼらなければならないために、たくさんの暇を必要とすることだろう。 だ…

「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。

- 「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。 −−和辻哲郎『風土』岩波文庫、1979年、106…

飲む気になれば,理由はいつでもどこでも,必ずある.古今東西を通じて真理であろう

- 【さけ】 84 飲む理由はたくさんある. multae sunt causae bibendi. ことわざ飲む気になれば,理由はいつでもどこでも,必ずある.古今東西を通じて真理であろう. −−柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』岩波文庫、2003年、120−121頁。 - とりあえず…

人間が万物の尺度ではあるが、普遍的な、思考する理性的な人間がそうなのだということ……

- ソフィスト哲学の正しさは主観性、自己意識の正しさ、すなわち、わたしによって承認さるべきものは、それが合理的であることをわたしの意識の前に立証しなければならないという要求である。その正しくない点は、有限で経験的で利己的な主観性を原理へまで…

「知っているつもりではいるのですが」 「それならひとつ、言ってみてくれたまえ」。

- 「君はいま、ほかならぬ自分自身の魂の世話を、あるひとりの男−−君のいうところによれば、ソフィストであるところのひとりの男−−にゆだねようとしているということだ。では、そのソフィストとはそもそも何ものなのか、君がもしそれを知っているとしたら、…

自分で考えると同時に学ぶこと

- 子供は遊技から学習という厳粛な行為へ移行することによって少年になる。子供たちはこの時代に、好奇心、とくに歴史に対する好奇心にもえ始める。子供たちにとって彼らに直接には現われない諸表象が問題になる。しかし主要な問題はここでは、彼らの心のな…

自己の運命を自ら開拓し、世界人生の謎を自ら解決すべく、雄々しく現実にたちむかう「我」

- こうして前七世紀から六世紀に及ぶギリシアの二百年は、実に顕著な矛盾的性格を示すのである。すなわち、それは一方に於いては清新な自由のパトスと奔湧する野心の情熱との灼熱的時代であるとともに、他方に於いては暗澹たる壊滅と動乱と絶望の瘴癘の気に…

「中」的な「状態」には、「時宜を心得ている」「わきまえがある」

- 人生においては休養もあることだし、休養に際しては遊びや楽しみが持たれるのであるから、ここにおいても何らか調子のとれた交歓といったようなものがあり、そこには語るべき−−同じくまた聞いていい−−ことがらと仕方があると考えられる。そして、かくかく…

「状態(ヘクシス)」としての正義

- あらゆるひとびとの解して正義(デイカイオシュネー)となすところのものは次のような「状態(ヘクシス)」にほかならないのをわれわれは見る。正義とは、すなわち、ひとびとをして正しいものごとを行うたちのひとたらしめるような「状態(ヘクシス)」、…

「勇気、廉直、友と理想に対する忠誠心、親切、ユーモア、節度、正義」を備えること

- しかも、諸国の王たちから尊敬を受けていることもさりながら、これらの書簡−−たとえ真作ではないとしても、早い時期の証言としてけっして価値のないものではない−−にうかがわれるところからすれば、プラトンはもっと普通の階層の人びとにも同じように心底…

西洋の哲学と東洋や日本の伝統思想とではどこがちがうのだろうか。

- ……西洋のと東洋や日本の伝統思想とではどこがちがうのだろうか。まさにそのことを問題にして橋本峰雄(「形而上学を支える原理」、岩波講座『哲学』第十八巻「日本の哲学」一九六九年、所収)は次のように書いたことがある。 すなわち、《明治以前のわが国…

ギリシア哲学のロゴスとキリスト教のロゴスについてのスケッチ

ギリシア哲学のロゴスとキリスト教のロゴスについてのスケッチ 以下でいくつかのキーワードの辞書的定義を紹介しますが、ギリシア哲学のロゴス観とキリスト教のロゴス観の大きな違いは、前者がいわゆる「ロゴス」(言葉・理性・理法)を示すだけであるのに対…