覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『ヨレハ記』=小川国夫・著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。


201_2



        • -

今週の本棚:村上陽一郎・評 『ヨレハ記』=小川国夫・著
毎日新聞 2013年01月27日 東京朝刊


 (ぷねうま舎・5880円)

 ◇「旧約」の精神を帯びた“戒律と赦し”の物語

 難しい仕事を引き受けてしまったという思いである。小川国夫の、成り立ちにも色々といきさつのある小説、しかも、六百ページを超える極めて大部な本書と取り組んでみての思いである。題材から言っても、成り立ちから見ても非常に特異な、この小説の刊行に踏み切った書肆(しょし)にも敬意を表したい。

 小川のこれまで発表された作品のなかの、かなり多くが、新約聖書に題材をとったものであったことは、あるいは彼のもう一つの重要なジャンルである紀行文でも、その多くが、キリスト教に絡んでいることは、よく知られていることだろう。本書に収められている「後記」という文章のなかで、小川は、ドストエーフスキーの作品には、常に「生きて働く神」の顕現という趣がある、という意味のことを述べている。キリスト者としての小川が、そうした作品を目指していた、というのが強すぎれば、そうした作品から刺激を受けていた、ということも、確かだろう。しかし、本書以外の小川の宗教的作品が、新約聖書を背景としていたのに反して、本書は、旧約聖書に基礎を置くという点で、例外的な作品であり、日本では稀有(けう)のことでもある。

 そういえば、トーマス・マンには『ヨゼフとその兄弟たち』という、旧約聖書を題材とした長編がある。小川がどれだけマンを意識していたか、それは判(わか)らないが、両者には、どこか重なるところがある。ただマンの作品が、確かに旧約の記事を題材としているのに対して、小川の本書は、旧約の精神を背景としていながら、完全なフィクションと言えるところが異なる。文芸の世界では、SFつまりサイエンス・フィクションというジャンルがあるが、本書はRFつまりレリジャス・フィクション(宗教フィクション)とでも名付けるべきものではないか。

 本書の成り立ちに複雑ないきさつがあると書いた。本書の主体は、もともと、文芸誌『すばる』に、一九七六年から七八年まで連載されていた九本の小説を、その順序で「ヨレハ記」として纏(まと)めたものである。もっとも、「連載」と書き、後に述べるように、著者がそれらを一編の「長編小説」として纏める意図を持っていたこともはっきりしているが、一つ一つの稿は、これも後に触れるように、時間の流れと並行した連載ではなく、各稿の内容が時系列に沿っていない、という点から見ても、それぞれが、幾分か独立している感がないでもない。

 もちろん、長編小説の内容が、常に時間の流れに沿う、という約束は、どこにもない。時間の倒錯は、小説の一つの技法ですらある。ただ、「硫黄 ヨレハの死」という連載の最終回の章に付記を添えて、小川は、「構想したすべての部分を書き了(お)え」たが、「発表の順序が若干前後し」たことを読者に詫(わ)び、「単行本にまとめる際、その点に留意しつつ、長篇小説として組み上げます」と締め括(くく)っている。その点を勘案すれば、一つの小説として考えたときには、著者自身が、内容の時系列的な展開という、判り易(やす)い構成に改めようという思いを持っていたという推測は成り立つ。また、小川が、その段階で、小説の出来上がりに完全に満足してはいなかったらしい点も見えている。

 実際その後、小川は、改稿と再構成を試みたようだが、それが未完のまま世を去ることになった。本書は、未完のままの改稿は、すべて反映されているが、各稿の順序に関しては、すでに書いた通り、発表の順番を踏襲している。したがって、読者は、その点に配慮しつつ読み進めるべきことになる。さらに、小川が、本稿を執筆後に、個別に発表した三つの、共通する題材を扱った作品を、「ヨレハ記」の後に、「神に眠る者」というタイトルで纏めて掲載しているために、本書はかくも大部になったとも言える。

 書誌的な説明だけで、すでに相当の紙数を費やしてしまって、本書の主体である「ヨレハ記」を紹介する余裕が残されていないが、場所はイスラエルらしい架空の国(町)キトーラ。ヨレハという「革命的な」予言者(作者は本作では「預言者」を使わない)を巡って、ヨレハに付き添うマジ、富裕なギヅエとその買われた妻エフタ、そこに絡むサヤム(ヨレハを廃して、自らヨレハを名乗る)、ヨレハに傾倒するギサウとその子ゼトらを巡る、複雑な人間と神との、そして人間どうしの関係が、主として、それぞれ異なった一人称形式で描かれる。旧約聖書でも、聖なる文典と言うにはあまりに人間臭い、憎しみや嫉妬に彩られた世俗の世界が表現されているが、本書でもそうした旧約の世界をほうふつとさせるような世俗性が、硬質な文体によって描写される。同時にそこには、戒律と厳しさの旧約的な宗教性と、新約における赦(ゆる)しと優しさを軸とする宗教性の双方に通じるような、独自の境地をよむことができるように思われる。本書の個々の記述の中に、旧約聖書に織り込まれる様々なエピソードを裏付けてみるのも一興であろうか。
    −−「今週の本棚:村上陽一郎・評 『ヨレハ記』=小川国夫・著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。

        • -





http://mainichi.jp/feature/news/20130127ddm015070043000c.html











202_2

203_2

ヨレハ記―旧約聖書物語
小川国夫
ぷねうま舎
売り上げランキング: 62,661