誹謗は漠然とした人間嫌いから出た想定である

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誹謗 CALOMNIE
 誹謗は漠然とした人間嫌いから出た想定である。想像上の行為を対象とした誹謗は、嘘である。しかし、動機を対象とした誹謗は、人間嫌いそのものとちょうど同じ程度にほんとうらしい。誹謗は決して止まらない。それ自身で落ちて行く。そして、しまいには、人間全体を否認するようになる。誹謗の毒は、周知のごとく、だれもそれから逃れられないということである。
    −−アラン(神谷幹夫訳)『定義集』岩波文庫、2003年、44頁。

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ちょうど、授業でジョン・デューイの民主主義と教育(哲学)をめぐる関係について紹介し、世界市民として生きる意義を考えていましたので、金曜朝のNHKニュースの特集(NHK在日韓国人に対する "ヘイトスピーチ"特集)を紹介しました。

わたし自身、この問題は、長らく関わっていることもあるし、そもそも、地球市民を考えるうえで、大切なことは何かといえば、高名な識者が作業仮設としての概念としてのそれを「丁寧」に解説することに惑溺するのでもなく、そして同時に、そういうものは不可能である、などとしたり顔でシニシズムを決め込むのではないのだろうと考えます。

だから、今の日本社会で何が起こっているのか、彼女たちに知ってもらったうえで、「世界市民」であるとか、「平等」であるとか、「博愛」であるとか、そして「差別に対する“No”」というものを、考えるきっかけになってもらえればと思い、授業で紹介しました。

正直、若い世代には、ネトウヨ的風潮も強いので、強烈な反撥も出てくるのではと思いつつ(……それは結局杞憂でしたが)、一番多かったのは、そういう事件が、自分の住んでいるところから数十キロメールはなれたすぐそこで展開されていることに驚いたようで、少しは刺激になったことは、よかったのではないかと思った次第です。

さて、ここから、どう連帯していくか。
これが僕を含めた人間の課題であることはいうまでもありません。

そこから、うすっぺらい「平和主義」や「世界市民」といったスローガンの「とりあえず、連呼」ではない、力強い言葉というものへ彼女たちと共に展開していきたいな、と。思った次第です。

好き嫌いがあることは承知しております。しかし、それを踏まえた上でも「憎悪」は何も産みださない。








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