日記:民本主義のアクチュアリティ





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 すなわち、大逆事件以来、「我国でアナーキズムと云へば直ちに飛んでもない大それた事を計画する反逆人のやうに思ひ做さるるを常とする」が、そういう「破壊の為に破壊を事とする」ような「消極的アナーキズム」以来に「積極的アナーキズム」といえるものがある。それは「現存するものの破壊」を言いながらも、他方で「遠い将来に於て我々の到達すべき社会的理想」を示す点、むしろ大いに「積極的建設的性格」をもったものと評価さるべきであって、なかんずくそれが「純然たる思想問題として」あらわれるばあい、「今日では格別実際上の危険を伴はない」ものとせねばならないのである。荘子の「倫理的アナーキズム」における「理想世界に対する憧憬」などもその一つの例証である。
    −−吉野作造「東洋に於けるアナーキズム」、『国家学会雑誌』34巻3号、1920年

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吉野作造のデモクラシー論に対する批判のほとんどは、その同時代であれ、後世からのであれ、吉野自身が「主権の所在」を問わなかったことに向けられている。

民本主義を大胆に論じた二つの憲政論は、「実質」民主主義を論じたマニフェストといってよい提言だが、両論とも「明治憲法」すなわち主権の所在が天皇に位置することは所与の前提とされている。そこをスルーすることで、民福増進を図るという戦略ともいえようが、やはりここに批判の矛先は集中する。

復古勢力がじわりじわりと力をつけるのと同時に民本主義の議論に「陳腐さ」を感じるようになった論壇は、吉野の議論を「古くさい」と退け、知識人はより急進的アプローチを求めることになった。その一つの代案が、ロシア革命の成功に代表されるボルシェビズムの登場であり、ひとびとはそちらに注目するようになった。

僕は別段、デモクラシーとマルクス主義を対照化させてその価値判断を論じるつもりは毛頭ないが、様々な潮流を含んだ左派思想は、主権の所在を天皇から「取り戻し」、社会変革のアプローチを示唆する意味では、吉野の民本主義を「乗り超える」ものとして注目されることになったことは否定できない。

しかし、「主権の所在」を問わなかった吉野の議論は、そのままうち捨てられてよいのだろうか。

確かに「主権の所在」を問わないで進めることには不安材料がつきまとう。いつ巻き返しが起こるか分からないし、現に歴史はそちらへ舵を切った。しかし、天皇親政として機能しようが象徴として退けられようが、体制に関する議論は、天皇制に関する議論ばかりとなってしまい、現実の民福増進が二の次となってしまう。だとすれば、天皇を完全に「無視」することで体制内変革を目指そうとする吉野の議論は積極的に評価することも可能であろう。

それが保守であれ、革新であれ、大日本帝国憲法下における「天皇」を軸足にした議論は、守旧を利し、革新の敵になろうとも現実の生活者から乖離せざるを得ない。いわば、サバルタンを拡大再生産する議論でしかない。吉野はひとの話をよく聞く人であったという。イデオロギー論争よりそこを重視したのだ。

天皇に「依存」しない共同体の合意形成、そしてその内実の充実。内実の充実はその中国・朝鮮論に見られるとおり、「内に立憲主義、外に帝国主義」とはほど遠い漸進主義的連帯性をひめた議論でもある。精緻な論争自体を吉野は否定しない。しかし「何のため」という原点を喪失した知的遊戯は丹念に退ける。

天皇をプロしようともアンチしようとも、それに「依存」した議論というのは、結局のところ、どこまでも(吉野作造民本主義でその目的とした)「民福の充実」と平行することはないのは今も昔も変わらない。ならば一層のこと、天皇に「依存」しない合意形成(=秘密主義の排除)の方が現実的ではないか。


吉野作造はもともと愛国少年だったが、長ずるにつれそれを相対化させゆく人生であった。その歩みを振り返れば、天皇制が諸悪の根源になっていることに不見識であった訳はない。大事なことは、それがある/ないの二項対立ではなく、それを不要とする市民社会の構想にあったのではないか。


浪人会が、民本主義は反天皇ゴルァといえば、そのテロル的な市民への一方的なリンチは天皇の許可をとってその赤子に狼藉をはたらくのですか、と誰何し、朝鮮半島の植民地支配の不合理に対しては、文明の兄(兄が日本という当時の議論にあえてのるw)がやるべき振る舞いではないですよねぇ、としなやかに応答する。

吉野自身、規範論に生成への意志が強くなかったが、それは同時に現実的変革提言の充実として機能した。民本主義退潮後マルクス主義隆盛後も、その論調は一貫して変わらない。しかも森戸事件以降は、非暴力の「理想主義的アナーキスト」を自認する。そしてその形成は、国家とは異なるコミュニティの社会を想定するものへとなってくる(同時代人で、共同体を国家のみに限定することで自由であった論者はほとんど存在しない)。

天皇はおろか、国家に依存しない共同体における自生的自助共助こそ目指すべき民主主義の内実なのではないか。

誰もが疎外された人の声を代弁することで、かえって疎外されている構造自体を結果的に温存させていく負荷を、吉野作造は知悉していた。それが規範論形成への醒めた眼差しとなり、「聞くひと」へと吉野を誘い、無効化させる戦略を優先させたのではあるまいか。

現実に戦後になって主権は天皇から市民へ移行した。しかし天皇に依存する議論はあとを立たない。その意味では吉野作造の議論は、それをも先取りするものであろう。

瑕疵を指摘することはたやすい。しかしそれだけに収まりきらない射程を秘めているのが吉野作造の議論であり、民本主義のアクチュアリティはおそらくここに存在する。

さて、1878年の今日1月29日は吉野作造の誕生日である。



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