日記:「人生とは個性的に価値あるものと信じて疑わない」からこそ


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 アテナイの政治社会へ与えた波紋もさることながら、ソクラテスの登場は、当時の精神的状況を鑑みると、随分な驚きだったのだそうだ。今日でこそ人々は、古くさい日めくりの格言などこころの表面をかすめ去ってゆくにすぎないほどに、人生とは個性的に価値あるものと信じて疑わないが、当時の人々は、「魂」とは、死ねば肉体から消えてゆく息か煙に似たものと考えていたというから、その魂の世話をすることこそ人生の価値と言われて、面喰らったのだろう。天空の彼方に想いを馳せていたかつての哲人たちの眼を、この人生この社会へと振り向かせたその転換は、正確さを期すためとはいえ、しかし哲学史の総体を狭いところに閉じ込めはしなかったか。ソクラテスの偉大な功績、自然学から人間学へと哲学史家たちの言う、しかし彼が見出し、第一に掲げたこの人生この公共性の、宇宙を考えることの多様さ無限さに比べれば、何ほどのものやら。
    −−池田晶子『口伝西洋哲学史 考える人』中公文庫、1998年、131頁。

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金曜日から「哲学」の授業が始まりました。

このご時世、グローバルだかキャリア教育だか何だか知りませんが、とにかく、可視化されたかたちでほかのひとより「トク」をする「実践的」な授業が隆盛を極めるなかで、教養をじっくりと耕すことがおざなりになるなか、沢山の学生さんたちが参加してくださり、実にありがたいものだなと思いました。

可視化される数値の背景にある人間を耕していくこと……そこに本来の大学に置ける教養教育の意義があり、競争が悪いわけではないのですけど、競争に追われて、「ほんとうはどうなのだろうか」とじっくり考える機会を失ってしまうと、人間はフト立ち止まったとき、どこから考えていけばいいのか分からなくなってしまうのが常ですが、人間を耕すことを学ぶことはそのきっかけづくりであり、リハーサルでありますので、ともにゆっくりと腰を据えて、哲人たちの言葉に耳を傾けながら、形而上学から形而下を照射していければなと考えております。

短い間ではありますが、どうぞよろしくお願いします。





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