覚え書:「坂本義和の平和論 酒井哲哉が選ぶ本」、『朝日新聞』2014年11月02日(日)付。


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坂本義和の平和論 酒井哲哉が選ぶ本
[掲載]2014年11月02日

(写真キャプション)坂本義和さん=2010年

■リアリズム踏まえた理想主義
 坂本義和は論壇における理想主義的国際政治論の雄として名高い。軍縮と平和を説き、現実主義者と激しい論争を繰り広げた坂本は、戦後日本の平和論の象徴的存在と通常は理解されている。10月7日付の本紙に掲載された訃報(ふほう)には、坂本の議論の賛同者も批判者も、それぞれに深い感慨を持ったことだろう。
 だが、今日改めて坂本の著作を振り返ったとき、それらは単純に理想主義的な議論として一括(ひとくく)りにはできないことに気づく。坂本が最初に手がけたのは、近代保守主義の代表的思想家であるバークのフランス革命観を中心とした思想史研究だった。イデオロギーと権力政治が交錯する点で、フランス革命と冷戦は重なりを持っている。過去の優れた保守主義の思想を知ることで現在の自分の位置を見定めることが、坂本の出発点だった。未完のこの助手論文に晩年手を入れて完成した『国際政治と保守思想』には、ウィーン体制の精神構造を扱ったメッテルニヒ論や「レゾン・デタ」(国家理性)論も収録されており、保守主義との批判的対話の跡をたどることができる。

■平和運動に疑問
 リアリズム国際政治学の代表者であるシカゴ大学のモーゲンソーのもとに留学した坂本は、帰国後の1959年、「中立日本の防衛構想」を発表し、颯爽(さっそう)と論壇にデビューした。これは日米同盟とその根底にある勢力均衡論に対する批判であると同時に、非武装中立論批判でもあった。坂本は両者への批判として、中立諸国部隊からなる国連警察軍の日本駐留による安全保障政策を提唱した。
 この坂本の議論を批判したのが高坂正堯の論壇デビュー作である「現実主義者の平和論」(63年)だった。今日この論争の開始点を回顧してみると、坂本と高坂の思考の隔たりは大きかったとはいえ、両者の対話は不可能ではなかったという気がしてくる。高坂は「理想主義」の提示する理念に十分な敬意を払っていたし、坂本の当初の議論は「一国平和主義」批判であり、眼前の平和運動には数多(あまた)の疑問を示していたからである。この時期の論説を収録した『核時代の国際政治』が、リアリズムを踏まえた現状分析とリアリズム国際政治論の論理を内在的に検討しその矛盾を突く方法を一貫して採っていることは、坂本義和集の解説者が異口同音に指摘する通りである。単純な礼賛や非難ではなく、戦後平和論における顕教と密教の重層的な構造を読みとることが、今日の読者には求められているのではないだろうか。

■戦争体験基礎に
 1970年代以降坂本は、第三世界に眼(め)を向け国際社会における格差構造に議論を拡(ひろ)げていく。この背景には、『人間と国家』で回想されるような、東亜同文書院出身の父とキリスト教平和主義者の母を持ち、30年代に上海で幼少期を過ごした坂本の原体験があった。戦後日本で南北関係に関心を示した人物には、戦前期に中国で生活した者が少なくないが、坂本もその一人である。上海事変の負傷兵についての回想録の描写は、読者に鮮烈な印象を残す。
 戦争体験を有する人々は現代日本ではもはや少数である。しかし、その体験を基礎に普遍的な枠組みで平和を論じた坂本の作品は、永く価値を持ち続けるだろう。そしてリアリズムを踏まえた理想主義は、現在の私たちの課題でもある。
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さかい・てつや 東京大学教授(日本政治史) 58年生まれ。著書・編書に『近代日本の国際秩序論』『日本の外交第3巻・外交思想』など。
    −−「坂本義和の平和論 酒井哲哉が選ぶ本」、『朝日新聞』2014年11月02日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2014110200001.html






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