日記:「キリスト教の人ですか?」「創価学会の人ですか?」ただの普通の人です。

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 「福祉事務所まで行くお金がないのだったら、私がお金を貸してあげましょう」
 気持ちをもう少し引き出すために具体的な提案をしてみました。電車賃は一六〇円です。
 貰うのがいやなら貸してあげることにすれば気持ちの負担は少ないでしょう。この具体的な提案にはすぐに反応してきました。
 「無料パスは持っているんですよ。」
 出して見せてくれました。ついでに運転免許証も見せてくれました。腕のいいタクシーの運転手だったと言います。運転免許証の期限は平成XX年。まだ先です。ということは、このようなぼろくずのような状態になって数年もたっていないのではないか、と推察されました。
 会話を交わすほどに垢と酒のにおいは強烈です。垢の匂いは私が我慢すればいいのですが、こんなに酒のにおいをさせて福祉事務所に行って、どう対応されるか不安になります。酒の失敗を繰り返して様々な関係性を崩壊させつつ転落し、ただ今現在の状態になった。このきっかけはなんであれ、今回は防波堤になるものをすべて失ってまっしぐらに落ち込んで、ここに行き倒れていたのではないでしょうか。髪やひげの状態から、既に半年くらいはあてもなくさまよい続けているように思われました。
 「アル中なんですよ、アル中。アル中でさんざん失敗をしてきてこんななんですよ。酒をやめるしかない」
 つぶやくように言います。
 問われたわけでもないのに、男性本人の口から直接アルコール依存のことが語られて、さらに核心に飛び込めたと思いました。私は話しかけてすぐに、この人はアルコール依存症でこうなっているのでは、と疑いを持っていました。でもそのことは私が問いただうことではありません。きちんとした人間関係も成立していない私から、「あなた、アル中でしょ」などと言われて、その人間関係が深まるなんてことはありませんし、アル中であるか否かを特定したところでこの際何の役にも立たないことです。自分から進んで語ったことで、私に何かを訴えたい、何とかしてもらいたい、何とかしたいというかすかな意思が感じられました。
 「だったらお酒をやめることを考えなきゃあ。ともかく、今のあなたは、体を休めることが必要なんでしょう?」
 力を込めて問い返しました。
 「あなたはどうしてこんなに親切なんですか。誰も声なんかかけてくれなかった。キリスト教の人ですか?」
 突然こんな質問が出てきました。今までの私の呼びかけに受動的に応えるだけだった会話が能動的に私への関心に切り替わった瞬間です。
 キリスト教の人と聞いて、グッド・サマリタンを思い起こしました。聖書の中の逸話です。誰も声をかけなかったのにそのサマリヤ人だけは道に行き倒れている人を見過ごさなかったという逸話を思い浮かべていました。でも、単純に応えました。
 「いいえ」
 「創価学会の人ですか?」
 「いいえ」
 「それじゃあ、ただの普通の人ですか?」
 「まあそういえばそうです」
 「ただの普通の人がどうしてこんなに親切なんですかぁ」
    −−宮本節子『ソーシャルワーカーという仕事』ちくまプリマー新書、2013年、62―65頁。

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