覚え書:「耕論 「いいね」のために はあちゅうさん、宮台真司さん、高橋暁子さん」、『朝日新聞』2017年12月07日(木)付。


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耕論 「いいね」のために はあちゅうさん、宮台真司さん、高橋暁子さん
2017年12月7日

写真・図版
グラフィック・宮嶋章文

 今年の「新語・流行語」の年間大賞に「インスタ映え」が選ばれた。多少ウソでも、中身を盛っても「いいね」が欲しい――。この空気はなぜ生まれ、どこまで広がっていくのか。

 ■生き方にもつなげる世代 はあちゅうさん(ブロガー・作家)

 ソーシャルメディアは2004年から始めて、今はインスタグラムやツイッターフェイスブックなど11のサービスを使っています。

 インスタだけで6アカウント。メインのほかに、私の著作についての読者の感想のリポスト(再投稿)など、用途によって使い分けています。

 「いいね」は現金と似た価値を持ってきていると思います。実際に、個人のネット上の影響力を現金換算するサービスも出てきました。各分野の専門家の面会時間の価値を金額で示す「タイムバンク」では、私が86歳になるまでの時間の総額が2千億円を超え、ランキング1位になったこともあります。

 社会的なステータスを測る時、これまではリアルの肩書や実績だったのが、今はネットの評価も加味した総合得点になっていると思います。インスタグラムやツイッターのフォロワー数などは、わかりやすく可視化された人気度の指標です。逆にリアルの世界の評価は可視化されづらい。

 「いいね」集めに熱中することに批判があるのは知っています。ネットでだけ充実しているように見せかける「幸せ偽装だ」と。あるいは「ネットよりリアルで頑張る方が大事なんだ」と。

 若い人たちには、ネットがリアルと同じか、それ以上に大事です。リアルのコミュニケーションしかなかった時代と違って、ネットを通じて、友達の新たな一面を知ることもできる。コミュニケーションが多様になっています。小さい頃からスマホがあったような世代は、むしろネットの方がよりリアルなんです。

 私のツイッターには、16万人のフォロワーがいます。実物の私に会ったことがある人は少なくても、16万の人たちが毎日どこかで、私のツイートを目にしている。リアルよりもはるかに、ネット上で見られているんですよ。仕事もすべてネット経由で来ます。

 電車に乗れば、みんながスマホを見ている。人としゃべっていても、ちょっとネットで検索したりと、日常生活でもネットとリアルを何度も行き来してますよね。

 多少盛っても写真映えを気にする「インスタ映え」への批判も不思議です。テレビに映る芸能人は、特別の衣装で仮想の自分を演じている。一般の人たちも、同じことを少し背伸びしてやっているだけなのに。

 生まれつきの美人でなくても、メイクやスマホのアプリの効果でかわいくなる。それはもう、一つの技術として受け入れられる社会になってきたように思うんです。

 現金換算やビジネスまで意識しなくても、ネット上の評価を楽しみ、それを生かして、自分の生き方につなげる。そんな人たちは、これからも増えるだろうと思います。

 (聞き手・平和博)

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 86年生まれ。電通などを経てフリーに。著書に「通りすがりのあなた」「半径5メートルの野望」など。

 ■「空虚な承認」わきまえて 宮台真司さん(首都大学東京教授)

 実際より見栄えのいい、多少ウソが入った写真を投稿してでも、ネットで「いいね」を欲しがる「インスタ映え」の現象は、社会からの承認が欲しいのに得られない、という不安の埋め合わせです。

 特に若い世代は、この社会の中に座席がない、ということを極端に恐れています。なぜか。社会の承認のベースとなる、仲間がいないからです。

 学生たちを見ていてもそうですが、けんかもしないし、本音もいわない。表面的な、損得勘定のつきあいです。それでは仲間はできない。仲間とは、いざとなれば自己犠牲もいとわない、「損得」より「正しさ」を重んじるつながりです。なのに若い人たちは、けんかを通じて肝胆相照らす、といった深いつきあい方を知らない。トラブル回避を優先するという育てられ方をしてきたためでしょう。

 だからこそ、不特定多数から「いいね」を募れるフェイスブックやインスタグラムは、埋め合わせとして都合がいい。フォロワー数、「いいね」の数は、一種の得点。それによって、自分が社会の中でどれだけの濃度で存在しているかを計測し、かりそめの承認が得られた気になる。

 ただそれは、不安をごまかす、一種の病的な反復行為です。不安の原因は、仲間がいないという現実なのだから。

 ソーシャルメディアで重視されるのは、反応の早さ、ノリです。そこに熟慮とか主体性が見えてはいけない。即座に反応する「自動機械」になることが求められます。

 私のゼミの学生には、そういう自動機械的コミュニケーションを禁止します。初めは戸惑いますが、次第に主体性が表れて、自分が本当に思うことを表現するようになる。そういった経験が積み重なれば、自動機械から抜け出す最初の一歩になります。

 さて、個人のレベルでは「いいね」が空疎であっても、社会のレベルでは、単に無視して済ますわけにはいかない。実際、リアルの社会に影響を与えるからです。

 「いいね」がたくさん集まって「風」が起きると、人がそれになびいて動くのです。損得勘定からいえば、流れに乗る方が得、だからです。

 先日の総選挙がまさにそうでした。人を巻き込む、人を動員する戦略を考えるのであれば、こうした数字は重要です。政治でも、企業でもNPOでも、人を動員するツールとして、今はソーシャルメディアの「いいね」数やフォロワー数を活用しないと損をするのが現実です。

 かつてのような、職場や先輩後輩などの仲間のつながりを通じた動員は、もはや機能しない。それを代替するのがソーシャルメディアです。

 「いいね」は、そんな空虚さと効果とを、わきまえながら使うべきツールなんです。

 (聞き手・平和博)

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 みやだいしんじ 59年生まれ。社会学者。著書に「正義から享楽へ」「どうすれば愛しあえるの」(共著)など。

 ■他人の目第一、はまる恐れ 高橋暁子さん(ITジャーナリスト)

 いまの若者は、他人からどう思われるかが最大の価値判断の基準になっています。自分が、じゃなくて、他人が評価したから私のここはいいんだ、と。評価軸が他人の側に寄っている。

 他人と比べてどうかも重要です。学校の教科から始まってあらゆる能力を「あの子に勝った、負けた」式で測っています。幼年期から相対評価で行動する傾向が強まっている気がします。

 10代はまだ何者でもないので、不安感でいっぱいです。根拠のない自信を持つのも大事だと思うのですが、そんな芯を持つ子どもは少なくなっています。

 彼らが他人の評価をもらう場、つながりを持つツールとしてSNSはとてもフィットしました。SNSはやればやるほど反応がある、確実に「いいね」の数字で返ってきます。その数字は他人と比べられます。あの子はあんなに「いいね」が多いのに私はこれだけ、友達がこれしかいない、頑張んなきゃ……、と。

 「盛る」ことは、以前ならみんなと遊びに行くときに兄や姉、親のモノや服を借りるのに近い。自分のリアルを投稿するより多くの「いいね」がもらえるんであれば、少し虚飾を施してもいいと思うわけです。友達多いんだね、と思われる方が気分がいい。

 たとえばディズニーランドに行くのでも、みんなとかわいく写真を撮ることがメインになる。自分だけ満足してもSNSで「いいね」してもらわないと、足りない感じ、本当に行ったことにならないような感覚さえ覚えるのです。

 この世界は安心と不安が表裏一体です。いい投稿でもすぐ古くなり、他を見るともっと「いいね」をもらっている人が必ずいる。次にはもっと「いいね」をもらえるようにしなくちゃいけない。「SNS餓鬼」を迫られるような、はまると厳しい世界です。

 「いいね」をもらうと、アルコールやギャンブルなどを経験したときと同じ脳の部位が活発になるという研究があります。中毒性にも気をつけなければいけません。

 フェイスブックツイッターが登場して10年ほど。そこでのつながりが自分の存在意義だという考え方が力を持ちました。「フェイスブックで友達が100人はいないとだめみたい。自分ではそう思っていないけど、馬鹿にされるのは本意ではない」という大学生がいました。

 対症療法の一つは、みんなでやめる機会をつくること。子どもの保護者には、ほかの保護者と一緒に禁止時間を設けることを勧めています。自治体や学校主体で実施し、友達との会話が増えたといった評判を聞きます。リアルとネットを区別する認識が共有できれば、関連させて評価する意味はなくなります。

 (聞き手・村上研志)

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 たかはしあきこ 95年から6年間、東京都の公立小学校教諭。著書に「ソーシャルメディア中毒」など。
    −−「耕論 「いいね」のために はあちゅうさん、宮台真司さん、高橋暁子さん」、『朝日新聞』2017年12月07日(木)付。

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(耕論)「いいね」のために はあちゅうさん、宮台真司さん、高橋暁子さん:朝日新聞デジタル