「血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう」



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 すべての書かれたもののうちで、わたしは、人が自分の血でもって書いているものだけを、愛する。血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう。
 他人の血を理解するということは、たやすくできるこではない。わたしは怠け者の読書家たちを憎むのだ。
 読書というものを見抜いている者は、もはや読書のために何もしないのであろう。なお一世紀のあいだ、読書なるものが存在し続けるとすれば−−精神そのものが悪臭を放つにいたるであろう。
 誰もが読むことを学んでよいということになれば、長いあいだには、書くことだけではなくて、考えることまでも腐敗させられる。
 かつて精神は神であった。次いで精神は人間になった。そして今は、それどころか、精神は賤民にさえなる。
 血と箴言とで書く者は、読まれることではなくて、暗記されることを欲する。
    −−ニーチェ(吉沢伝三郎訳)『ツァラトゥストラ 上 ニーチェ全集9』ちくま学芸文庫、1993年、72−73頁。

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痺れた一節なので、覚え書として残しておきます。




⇒ ココログ版 【覚え書】「血でもって書け。そうすれば、きみは、血が精神であることを経験するであろう」: Essais d'herméneutique


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