日本国の天職如何、地理学は答へて曰く、彼女は東西両洋の媒介者なりと



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 日本国の天職如何、地理学は答へて曰く、彼女は東西両洋の媒介者なりと、勿言(いふなかれ)、何ぞ簡短の甚しきやと、是れ一大国民たるに恥ずべからざる天職なればなり、是れ希臘国の天職たりしなり、是れ英国の天職にして彼女の強大なるは彼女が能く其天職を盡せしが故なり、媒介者の位置、……「和平(やはらぎ)を求むるものは福(さひはひ)なり、其人は神の子と称へらるべければなり」。
 地理学の指定に係る我国の天職は大和民族二千年間の歴史が不識の中に徐々として盡しつゝありし大職ならずや。
    −−内村鑑三『地人論』岩波文庫、1942年、167−168頁。

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どのメディアにチャンネル、電波、紙面をあわせてもこのところ共通するのが排他的ナショナリズムの論調。現下の日本のメディアは今、いかに刺激的に右傾化というエンターテイメントを見せることができるかを競っているような状況です。

醜い言葉と表情で、在日外国人に対する反感を扇動するその論調には驚くばかり。

たしかに、震災、円高等々……今は「非常時」なのかも知れませんが、その「非常時」という盾を隠れ蓑にして、とんでもないことが進展していっていると感じるのは、おそらく僕一人ではないと思います。

「」をつけて「ナショナリズム」と断る現象だけに限定された問題ではもちろんありませんが、ひとりひとりの人間が「それは大事なんだよな」って何かを「リスペクト」するとき、そのエネルギーやピュアなモチベーションを排他的に外へ眼差さなくても、その感情は成立します。どちらかといえば、自分自身にその眼差しをむけていく、そして同時に点検していくことによってそれは成立するのじゃないかと思うわけですが、基本的には、無批判に外に向かって罵詈雑言をなげかけるだけでそれが成立すると勘違いした御仁が多いのかも知れません。

しかし、振り返ってみれば、この日本列島の文化というものは……はっきりいいますが私は文化を何か実体化させるような議論に乗ることはできませんが、マア、それを横に置いておいておいたとしても……様々なひとびと、文物との交流から、現在目にすることができるものへと精錬されてきた事実だけは否定できません。

であるならば、異なるものから「学ぶ」という視座が喪失されつづけていくと、「ナショナリスト」たちが後生大切にしている「愛国」の対象というものはやせ衰えていくだけだと思うわけなんですけどねぇ。

冒頭に内村鑑三(1861−1930)の地理書『地人論』の一節を紹介しましたが、まさに「日本国の天職如何、地理学は答へて曰く、彼女は東西両洋の媒介者なり」ですね。

およそ文化・文明においては「無からの創造」は「想像だけの世界」でのみ実現されるものですから、様々なものごとに関してこちらから窓口をシャットダウンした状態では、何も生産的な議論はうまれてきませんよ。

ぎゃふん。







⇒ ココログ版 日本国の天職如何、地理学は答へて曰く、彼女は東西両洋の媒介者なりと: Essais d'herméneutique



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