覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [大学入制度改革]=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年10月26日(土)付。

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引用句辞典
トレンド編
鹿島茂

[大学入試制度改革]
教育の本質はエロス
文科省には無理な話

ソクラテスよ、人間はみな、子を宿している。これは体の場合でもあっても、心の場合であっても、同様にいえることだ。そして、時が満ちると、子をなしたくなる。われら人間は、そう生まれついているのだよ。だが人間は、醜いものの中で子をなすことはできぬ。美しいものの中でなければならぬのだ。
プラトン「饗宴」中澤務訳 光文社古典新訳文庫

 文部科学省教育再生実行会議の提言を受けて、センター試験を廃止し、「基礎」と「発展」の二段階からなる達成度テストにかえると言い始めた。
 教育現場にかかわっている人間にとっては「またかよ、もう、いいかげんにしてくれ!」というのが本音だろう。とにかく、文部科学省が(審議会の答申という形式はとるものの)なにか「改革」を思いつくたびに、事務仕事の量が倍になり、教育どころの騒ぎではなくなるのが常だからだ。極論すれば、文部科学省とは、雑務を増やし教育を阻害するためにのみ存在する官庁である。「最も良い文部科学省とはなにもしない文部科学省である」と囁かれているのを当の役人は知っているのだろうか? 制度をいじれば教育の質が向上すると考えるその発想法がそもそも誤りなのである。教育というものに携わったことのない彼らは教育の本質というものをまったく理解していないのだ。
 では、教育の本質とはいったい何なのか?
 プラトンに言わせると、それはエロスであるということになる。エロスとは生き物に子を産むようにしむける神である。死をまぬがれぬ動物はエロスに導かれて、より良きもの、より美しきものを統合して子をなさんとする。自己をより良くより美しく永遠に保存し、不死にしたいからである。
 しかし、人間という特殊な動物にはこうした生物学的自己保存願望のほかにもう一つ、自分が獲得した「知」を同じように永遠に保存したいという本能がある。しかも、より良く、より美しいもの(つまり優秀な生徒)を見つけてその中に自己を保存したいと欲するのだ。「そのような者たちは、通常の子育てをする夫婦よりもはるかに強い絆と堅固な愛情で結ばれることになる。なぜなら、彼らが一緒に育てている子どものほうがより美しく、より不死に近いのだから。どんな者でも、人間のかたちをした子どもよりも、このような子どもを自分のものにしたいと願うことであろう」
 もちろん、ここにはプラトン特有の少年愛的なエロスが暗示されている。しかし、プラトンが本当に言いたいのは、教育というのは本質的にエロスの支配する領域であり、知を獲得したおのが自己保存本能に駆られて行う再生産にほかならないということだ。この意味で、教育ほどエロチックなものはない。
 少しでも教育に携わったことのある人ならこうした教育のエロチシズムというものが理解できるはずだ。教育は、それがうまく行けば、教える側には大きなエロス的快楽をもたらすのであり、この快楽があればほかに何もいらないほどなのである。文科省の役人に決定的に欠けているのは、こうした教育へのエロス的側面への理解である。教えることが好きで好きでたまらない人間のヤル気をそぐこと。文科省の役人の狙いは、どうもここにあるとしか思えないのである。(かしま・しげる=仏文学者)
    −−「引用句辞典 トレンド編 [大学入制度改革]=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年10月26日(土)付。

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