日記:「未来はよくなる」し「未来をよくしていこう」と思っていたけど……1995年という問題。

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こないだ若い衆と呑んだとき話題になったのが、村上春樹さんが、“「孤絶」超え、理想主義へ」”(*1)を語ったこと。思い出すと、春樹さんではないけど、高校3年の時に、ベルリンの壁が崩壊したボクにも「未来はよくなる」というか「よくしていこう」と思った。

生まれたら、がっちりした冷戦構造。この漆喰は、おれが死ぬまでには崩壊しねえわな、つうのが僕だけではない同時代人の共通認識だったのではないかと思う。

しかし、まさに「あれよあれよ」という間にさ、「時代が動いた」。

おれが小学生の時はレコードですよ。しかも家具のような(春樹さんもエッセイでいくつか書いていたけど)。それがCDになっていく。

科学技術の日進月保とワンセットだけど、未来を展望していたと思う。楽天的といえば楽天的ですし、ヘーゲル的といえばヘーゲル的ですけどね。それでも、

変わるはずのなかった「冷戦構造」が動いたのは、僕らの常識を覆し、より未来を展望するようになったと思う。その背後でバブルとその崩壊が同時進行ですけど、次代はよくなっていくと思っていた。

もちろん、楽天的な技術革新への信頼は否定しないけれども、世の中が止まったのはいつなのかと誰何すれば、1995年なのかと思う。阪神大震災オウム事件の年だ。それから時間が動かなくなったという感がある。その時間の止まった5年間が現在も「続く」という認識でしょうか。

1995年から9.11に至る現代に、何も変わらない「現在」が形成されたというのがぼくの時代認識。

個々のテクノロジーのアップデートは続けれども、革新的な転変のないまま、ケータイ、パソコンが「終わらない日常」を繰り返すという構造です。その中で、未来を憧憬する「理想」が潰えたという感じです。

フランシス・フクヤマ自身が「歴史の終焉」を撤回したような現在なのだけど、そしてその楽天的見通しを僕自身も共有していたのが、10代のオレだったと思うけれども、それでも、自己責任で全てを個人に還元させる狭了さはなかったと思う。

3.11を持ち出すまでもないけど、テクノロジーが人間を「よく」することはない。しかし、95年からの足かけ20年というのは、テクノロジーの目に見える変化もなく、未来を展望することができず、絶えず社会からの転落をおそれ疑心暗鬼にだけリソースを注ぐようになったのが今かもしれない。

はっきりいって、ここまで足をひっぱりあうような社会へ誘導されるとは、ベルリンの壁が崩壊した高校3年生の時には思ってもみなかった。その展望が進歩史観の「挫折」と総括するのはたやすい。しかし、未来を仰ぎ見、現在の瑕疵を訂正していこうとする志が捨て去られたことは息苦しい。

デタッチメントからアタッチメントへ−−。

そしてそれは特定の共同体の利益を排他的に宣揚する「絆」とは同義ではない創造的なものへしていくことが求められているとは思うからこそ、サルトル的な「大文字」の対峙ではなく、カミュ的な「小文字」のアクションでアクセスするしかねえべかな、などと思ったり

これもよく言われる話だけど、高等学校の歴史教育で近現代のあたりが「時間切れ」でスルーされるのよろしく、過去百年とはいわないまでも、過去10年、20年の歩みを忘却してしまうのも問題ありだよなあ、と。ベルリンの壁が崩壊して四半世紀たって身を振り返り思った次第でございます。

『平成史』なんて書籍も出始めているけど、そろそろ90年代前半と90年代後半の断絶と連続そして今を確認しておかないとまずい気がしている。

なんていうか、現在の世界を一足に変革してやろうとは思わない、というか歴史を振り返ればそんなのは無理な訳だけど、「どーせ無駄」ってこれも一足に飛ぶの嫌でしてね、だからこそ、不断に「現在の瑕疵を訂正」していこうと思う訳さ。

1990年代の出来事が「なかったこと」にされることによって、お花畑的な「今」が接続されている。時代のアナロジーはしたくはないけど、大正リベラルデモクラシーが戦前昭和へ跳躍する契機に似たものを感じる。


(*1) 覚え書:「村上春樹さん:単独インタビュー 『孤絶』超え、理想主義へ」、『毎日新聞』2014年11月03日(月)付。 - Essais d’herméneutique


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