覚え書:「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る みんな一生懸命生きている」、『毎日新聞』2015年04月19日(日)付。

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村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る

みんな一生懸命生きている

(写真キャプション)村上春樹さん=ロンドンで昨年夏、村上春樹事務所提供

 −−読者の質問にメールで直接答えるサイトが、大変な質問数とか。
 村上 多くて1万ぐらいかと予想していたら、4倍近くきてしまって……。どこからでも質問できるスマートフォンの影響もあると思う。
 −−全部読んで答えているそうですが。
 村上 先日神宮球場に行きましたが(村上春樹さんはヤクルトファン)、この球場が満員の数よりメールが多いのかと思いため息が出た。大変だが、でもやるしかないです。自分でイメージしているのはアテネアゴラ(古代ギリシャの都市にあった公共広場)です。みんなが集まって、手を挙げて好きに発言する。

▽作家の記録
 −−旅行記を書くなら目的意識をもってメモをとることなど、具体的なアドバイスも印象的です。
 村上 普段考えていることをわりと正直にどんどん答えているので、作家の記録としては面白いんじゃないかと思う。そこから僕のこれまでとは違う面が見えてくるかもしれません。
 −−ファンからの質問にもありますが、オウム真理教信者による地下鉄サリン事件から今年はちょうど20年。村上さんには、この事件の被害者たちに聞いた本「アンダーグラウンド」もあります。
 村上 20周年でテレビの特集番組がありました。本を出したり裁判を傍聴したり、自分も関わってきたので見始めたんですが、見ているうちに胸が重くなってきて、長くは見られませんでした。
 −−「約束された場所で」ではオウム真理教の元信者も取材している。
 村上 あの事件でたくさんの人が亡くなっています。その一方で、多くの死刑判決が出ている。両側に死が重くのしかかっています。人の死というのは、どのような意味合いにおいても重いものです。

ノストラダムス
 −−当時、実際に取材した経験で感じたものは?
 村上 オウム真理教の信者たちを取材すると、その多くが「ノストラダムスの予言」を本気で信じているんですよ。彼らが10代のころに「ノストラダムスの予言」について書いた本が出て、それをテレビなどが盛んに取り上げた。“1999年に地球は滅びる”という不安ああり、さらにそこに「スプーン曲げ」に代表される超能力信仰みたいなものが刷り込まれていった。
 −−それから20年ほどして起きた事件ですね。
 村上 そんな素地があるところに麻原晃彰が現れて、超能力っぽいことを少しやってみせると、すぽんとはまっちゃう。人間の心をクローズドサーキット(閉鎖回路)に引き込み、外に出られなくし、精神の抵抗力を失わせてから、サリンを散布させる。麻原が信者に与えたこのような物語はいうなれば悪しき物語です。僕らはそれに対抗する力を持った物語を書いていかなくてはならない。「アンダーグラウンド」以来、僕はいつもそのことを考えています。
 −−開かれた回路で、再生される物語でなくてはいけないのですね。

▽人への信頼感
 村上 被害者たちの話を一生懸命に聞いていると、みんな物語をもっていることがわかります。派手なものではないかもしれないが、その多くは身銭を切った自分の物語です。それらが集まるとすごい説得力を持ってくる。でもオウム真理教の人の語る物語は、本当の自分の物語というよりは、借り物っぽい、深みを欠いた物語であることが多い。
 −−その仕事で何か自分に変化がありましたか?
 村上 人に対する自然な信頼感みたいなものが生まれたと思う。電車に乗っても、以前はただ人がたくさんいるなあというくらいだったが、今は一人一人に物語があって、みんな一生懸命に生きているのだなあと感じます。今回の読者とのメールのやりとりにも同じものを感じます。だからこそ、丁寧に正直に答えたいと思うのです。

善と悪 瞬時に動く時代
 −−村上春樹さんの作品が欧米に初めて紹介されたのは1989年の「羊をめぐる冒険」の米国訳です。この年、ベルリンの壁が崩壊、日本も昭和から平成に変わった。その後の世界の変化は予想を超えるものでした。
 村上 先日「アルジェの戦い」という1960年代に作られた映画を久しぶりに見ました。この映画では植民地の宗主国フランスは悪で、独立のために闘うアルジェリア人たちは善です。僕らはこの映画に喝采を贈りました。でも今、これを見ると、行われていること自体は、現在起きているテロとほとんど同じなんですよね。それに気づくと、ずいぶん複雑な気持ちになります。
 60年代は反植民地闘争は善でした。その価値観で映画を見ているから、その行為に納得できるのです。でも今、善と悪が瞬時にして動いてしまう善悪不分明の時代に、この映画を見るととても混乱してしまう。

▽総合生命体
 −−「この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない」「善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ」。「1Q84」に善悪をめぐるそんな会話があります。動き続ける善悪の世界が描かれるのは村上作品の特徴ですね。
 村上 今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていることです。テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です。「テロリスト国家」をつぶすんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです。僕はイラク戦争のときにアメリカに住んでいたんですが、とくにメディアの論調の浅さに愕然としました。「アメリカの正義」の危うさというか。
 長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。それはベルリンの壁が壊れたころから始まっている。

羅針盤
 −−そんな中で、今、村上春樹作品が世界中で読まれているわけです。
 村上 僕の小説はある意味では「ロジックの拡散」という現象に併走しているんじゃないかと思う。僕は小説を書くにあたって意識上の世界よりも意識下の世界を重視しています。意識上のロジックの世界。僕が追究しているのはロジックの地下にある世界なんです。
 −−その作品の特徴とは?
 村上 ロジックという枠を外してしまうと、何が善で、何が悪かがだんだん規定できなくなる。善悪が固定された価値観からしたらある種の危険性を感じるかもしれないですが、そのような善悪を簡単に規定できない世界を乗り越えていくことが大切なのです。でもそれには自分の無意識の中にある羅針盤を信じるしかないんです。
 −−村上さんの物語はその闇のような世界から必ず開かれた世界に抜け出てきます。その善い方向を示す羅針盤はどこから生まれてくるのですか?
 村上 体を鍛えて健康にいいものを食べ、深酒をせずに早寝早起きする。これが意外と効きます。一言でいえば日常を丁寧に生きることです。すごく単純ですが。

▽自発的
 −−ベルリンの壁が崩壊した89年には天安門事件も起きている。そこから四半世紀の昨秋、ベルリンでの「ウェルト文学賞」受賞スピーチで、この世には民族、宗教、不寛容といった多くの壁があることを述べ、その壁と闘っている香港の若い人たちにメッセージを送り、話題になりました。
 村上 香港の若い人たちの取り組みは、みんなが自発的に立ち上がっている印象があり、新しいデモのスタイルだと思いました。大事なのは彼らが理想を持っていたことです。僕はそういう動きを支持したいと思っています。壁を崩しながら、規範を持つ世界を作っていく。むずかしいけれど、じっくりやっていかなくちゃいけないことだと思います。

歴史問題 謝るしかない
 −−デビュー作「風の歌を聴け」の「僕」たちが集まるバーのバーテンは中国人。最初の短編集の名が「中国行きのスロウ・ボート」。「スプートニクの恋人」では在日韓国人の女性が重要な役割で登場する。村上春樹さんほど、東アジアと日本の関係を考えて書き続ける作家はいない。近年の東アジアの状況をどう考えていますか?
 村上 東アジア文化圏にはとても大きな可能性があります。マーケットとしても、すごく大きくて良質なマーケットになるはずです。いがみ合っていても何も良いことはありません。

地殻変動
 −−歴史認識の問題についてはどう思いますか?
 村上 今、東アジアには大きな地殻変動が起きています。日本が経済大国で、中国も韓国も途上国という時には、その関係の中でいろんな問題が抑え込まれていました。ところが中国、韓国の国力が上がって、その構造が崩れ、封印されていた問題が吹き出してきている。相対的に力が低下してきた日本には自信喪失みたいなものがあって、なかなかそういう展開を素直に受け入れることができない。
 ーー日中韓のバランスの基盤が新しくできるまではいろいろある?
 村上 落ち着くまでにはかなりの波乱があるでしょうね。中国経済がこのまま成長していくかどうかもわかりません。軍事力のバランスがどこで落ち着くかもわかりません。ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから。

▽人間の魂
 −−カタルーニャ国際賞の受賞スピーチで東日本大震災と福島第1原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と話された。今、原発の再稼働が論議されていますが。
 村上 15万人もの人が避難を余儀なくされています。長い間住んでいた土地から突然立ち退かされるというのは、人間の魂が部分的に殺されるのと同じです。そういう人が15万人も生まれてしまったというのは、国家のあり方の根幹に関わることです。経済効率の良しあしでは済まされない問題です。それが何ひとつ解決していないのに、構造的なリスクを抱えたまま原発を再稼働させるというのは、国家のモラルからしても論外だと思う。
 −−村上さんは1997年刊行のエッセー本で「原子力発電に代わる安全でクリーンなエネルギー源を開発実現化すること」について既に書いている。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)などの作品に出てくる発電所風力発電です。

▽核発電所
 村上 地震も火山もないドイツで原発を撤廃することが決まっているわけです。危険だからという理由で。原発が効率的でいいなんて、ドイツ人は誰も言っていません。
 −−読者との交流サイトで「原子力発電所」ではなく「核発電所」と呼ぼうと提案していますね。
 村上 「ニュークリアプラント(newclear plant)は本来「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。ニュークリア=核だから。原子力はアトミックパワー(atomic power)です。核が核爆弾を連想させ、原子力が平和利用を連想させるので「原子力発電所」と言いかえているのでしょう。今後はちゃんと「核発電所」「核発」と呼んだらどうかというのが僕からの提案です。(聞き手は共同通信編集委員・小山鉄郎)
    −−「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る みんな一生懸命生きている」、『毎日新聞』2015年04月19日(日)付。

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