覚え書:「啄木、うそと矛盾に現代性 ドナルド・キーンさんに聞く」、『朝日新聞』2016年05月20日(金)付。

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啄木、うそと矛盾に現代性 ドナルド・キーンさんに聞く
2016年5月20日

 ■買春、ローマ字で日記に

 「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹(かに)とたはむる」。歌集『一握(いちあく)の砂』が有名だが、「啄木の最高傑作は日記だ」とキーンさんは言う。

 啄木は長年にわたって、詳細な日記をつけていた。キーンさんが特に「傑作」とみなすのは、1909年4月から6月にかけて啄木がつづった、いわゆる「ローマ字日記」。

 「なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか? なぜだ? 予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ」。啄木はローマ字でそう記し、買春を繰り返す日々を赤裸々につづっていく。

 「妻を愛してる」と言いながら売春宿に通い、それを克明に日記に書きながら「読ませたくない」とローマ字を使う。この矛盾こそが、啄木の現代性なのだとキーンさんは言う。

 「読まれたくない、読まれるかもしれない。自分に対するうそがあり、矛盾がある。現代人の特徴の一つです」

 「ローマ字日記」の3年ほど後に亡くなった啄木は、自分が死んだら日記は焼いてしまうように知人に頼んでいたとされる。そこにも啄木の「矛盾」があるとキーンさんはみる。

 「日記にはとてもいい紙が使われている。字もとてもきれい。心のどこかに、これはいつか読まれるべきものだという気持ちがあったのではないでしょうか」

 同じく明治期に活躍した俳人正岡子規の評伝の著書があるキーンさんは、子規と啄木の違いについて、繰り返し思いをめぐらせたという。今年出した新刊『石川啄木』(角地幸男訳、新潮社)の冒頭で、キーンさんはあえて、「蟹とたはむる」でも「ぢつと手を見る」でもない一首を紹介した。

 「我に似し友の二人よ/一人は死に/一人は牢を出でて今病む」。とても現代的な歌だ、とキーンさん。「子規は泥棒や病気の人のことはうたわなかった。啄木の作品には醜さや恥ずかしさがある。新しい文学なのです」

 けれど今、啄木が多くの人に読まれているとは言いにくい。「理由の一つは、文語体で書かれていることでしょう。でも、苦労して読んだ後に得るものは、とても大きいはずなのです」

 啄木が読まれなくなったのは、より安易で簡単な娯楽が本に取って代わったから、とキーンさんはみる。

 「20年前、東京の電車ではみな本を読んでいた。誇らしい光景でした。今はみなゲームをしています。簡単には面白さがわからないものにこそ、本当は価値があるのですが」

 (柏崎歓)

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 1922年生まれ。コロンビア大名誉教授。古典から現代文学まで幅広く研究し、日本文学の国際的評価を高めた。読売文学賞、朝日賞など受賞多数。2012年に日本国籍を取得。

 ◇キーンさんのインタビューは随時掲載します。
    −−「啄木、うそと矛盾に現代性 ドナルド・キーンさんに聞く」、『朝日新聞』2016年05月20日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12366163.html





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