覚え書:「フロントランナー 「きずなや」代表理事・若野達也さん」、『朝日新聞』2016年09月03日(土)付土曜版be。
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フロントランナー 「きずなや」代表理事・若野達也さん 地域おこし、認知症の人と
2016年9月3日
梅林に隣接するソバ畑で小石拾い。認知症の人も、子どもも、障害のある人も。誰もが集える場所にしたいと夢見る=奈良市
目に焼きついた光景がある。
(フロントランナー)若野達也さん 「認知症の人も同じ住民として活動する」
小学校5年生のとき、大好きだった祖父が、認知症の病棟に入院した。手首はひもで縛られ、ベッドの柵につながれていた。
「じいちゃん」。声をかけると、祖父は「ひも、ほどいてくれへんか」と言った。顔がかゆかったのだ。手で顔をかくと、「もう1回しばって」と言った。拘束が外れたままでは、孫が叱られると心配したのだろう。
劣等感に苦しみ、心を閉ざした少年時代。あたたかく包んでくれたのが祖父だった。
「僕がじいちゃんを守る」。病室に通い、ひもをほどき、「しばらないで」と病院側に訴えた。ある日、看護師が言った。「そこまで言うなら家に連れて帰れば」
あの日から30年。認知症グループホームの運営、若年認知症の人の就労支援など、専門職として経験を積んだ。いま取り組むのは、認知症の人を中心とした地域おこしのプロジェクトだ。
舞台は奈良市にある追分梅林。広さは10万平方メートルを超す。4千本の梅が咲き誇った名所だったが、梅は70本まで減り、5年前に一時閉鎖されたままとなっていた。
働きたくても、働く場や居場所のない若年認知症の人がいる。一方、人手不足と高齢化に悩む地域の人がいる。「福祉」と「農業」を結ぶ試みを思いついたのだ。
土地を無償で借り、雑草を刈り、約500本の梅を植えた。認知症の6人が、スタッフと汗を流す。彼らは、単なる福祉の受け手ではない。地域づくりの担い手だ。梅ジャム、梅バウムクーヘンなどの商品化も実現。今年2月には10年ぶりに観梅会が開かれた。
亡くなった祖父は病室でも、やさしい笑顔を見せていた。「認知症でも、その人らしく生きることができる」。それは、じいちゃんの最後の教えだった。
(文・清川卓史 写真・西田裕樹)
★1973年、大阪市生まれ。市役所などで、精神障害者の相談支援に携わる。2004年、奈良市で認知症の人のグループホームを設立。09年から若年認知症の人の就労支援に取り組み、14年から一般社団法人化したSPSラボ若年認知症サポートセンターきずなやで活動。NPO法人認知症フレンドシップクラブ理事。
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わかのたつや(42歳)
(3面に続く)
−−「フロントランナー 「きずなや」代表理事・若野達也さん 地域おこし、認知症の人と」、『朝日新聞』2016年09月03日(土)付土曜版be。
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(フロントランナー)「きずなや」代表理事・若野達也さん 地域おこし、認知症の人と:朝日新聞デジタル
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フロントランナー 若野達也さん 「認知症の人も同じ住民として活動する」
2016年9月3日
畑に向かう若野達也さん(中央)。農作業担当のスタッフは、介護福祉士だが油圧ショベルも操る=奈良市
(1面から続く)
奈良の若草山を間近にのぞむ、見晴らしのいい高台の農地。今年7月末、若野達也さんら「きずなや」のメンバーは、ソバ畑の土づくりに汗を流した。認知症の人と子どもらが一緒にソバを育て、手打ちした年越しそばをみんなで食べる――。奈良県内のNPOと連携した、そんな交流企画が動き出している。
「まだまだ石がでてきますね」。若野さんが話しかけると、隣にいた小谷勉さん(59)が日焼けした顔をほころばせた。55歳で若年アルツハイマーと診断された。勤務先の理解を得て、会社で働きながら、休日は妻の弘子さんと2人で「きずなや」の仕事をする。小谷さんは農家出身で、どんな作業も一心にこなす。いまや欠かせない働き手だ。
■一緒に飲み会
「認知症の人の思いをかなえる支援をしたい」。若野さんはそんな思いに突き動かされて、活動の場を次々と変えてきた。
2004年、奈良市に認知症の人のグループホーム「古都の家 学園前」を立ち上げた。そこで「働けるうちは働きたい」と思いつつも、居場所を失っていく若年認知症の人たちの姿を目の当たりにした。
奈良市のショッピングセンターの一角に「若年認知症サポートセンター絆(きずな)や」を開設したのは09年。いまの「きずなや」の前身だ。
介護保険の枠外にある支援活動で、資金もノウハウもなかった。だが、「働きたい」という彼らの願いを、なんとかしたかった。洗車、草むしり、エアコン掃除……。若年認知症のメンバーや家族会と話しあい、地元の仕事を請け負った。
50代半ばの大学教授だったときに発症した大井映史(えいじ)さん(62)には、「英会話教室をやりましょう」と声をかけた。週1回、家族会の人やスタッフが生徒になった。
活動の中では、スタッフも認知症の人も、同じメンバーだ。支援者と利用者という、一方通行の関係とは違った。「一緒に飲みに行ったり、カラオケで歌ったり。飲み過ぎた職員が、認知症の方から『しっかりしろよ』って、励まされたこともありました」と、若野さんは笑う。
■攻める福祉へ
忘れられないメンバーがいる。60代前半、認知症でいながら何でも仕事をこなし、団地で一人暮らしをしていた男性だった。だがあるとき「俺が死んでも、誰も悲しまへん。お前に迷惑をかけるから自殺する」と言う。「ええ加減にしいや!」。止めようとした若野さんと、つかみ合いのケンカになった。
男性は自宅で暮らし続けたいという希望があり、若野さんも応援していた。だが他人の部屋に誤って上がり込み、警察に通報されるなどの出来事が重なる。「危険人物」とされ、外出して一時行方不明となったのをきっかけに、医療保護入院となった。
「いまの自分では何もできない」。無力感にさいなまれた。「祖父に接したときと、何が変わっただろう」。活動が地域に広がらない行き詰まりも感じていた。
いったん事務所を閉じた。
発想を根本から変えよう。新生「きずなや」を再開したとき、そう決めた。追分梅林の復活プロジェクトは、その発想転換から生まれた。
「認知症の人の困りごと解決」だけを目指さない。人手不足という「地域の課題解決」に本腰を入れ、結果として、認知症の人の働く場や居場所を生み出そうと考える。
各種の助成金などを活動資金とし、認知症の働き手には、時給800円を払う。
数十人いるサポーターは、若野さんの夢に共感し、手弁当でプロジェクトを支える。家族会や医療・福祉関係者だけではない。企業や大学、行政関係者、ブロガーら、多彩な顔ぶれが知恵や労力を提供している。
若年認知症の家族会代表を務めた縁で、10年超しのつきあいになる大塚幸子さん(67)は現在、きずなや理事の一人。「若野さんのアイデアはすばらしい。けど、お金はどうするの? もうけることも考えないと、って口うるさく言うんです。成功してほしいと思うから」
日本固有の柑橘(かんきつ)類「大和橘(たちばな)」、生薬の原料になる「大和当帰」も約500本ずつ植えた。経済的な足場を固めるため、飲食店とのコラボや、大和橘バターなどのオリジナル商品の開発も進めている。
限られた予算内でやり繰りする「守りの福祉」から、農業や観光業、飲食業ともコラボする「攻める福祉」へと踏み出した。台湾、英国など、海外からの視察も相次ぐ。
「住民の課題を『我がこと』として共有し、認知症の人も同じ住民として活動する。その先に『じいちゃん』の教えを実現できる社会があると信じています」
◆次回は、国内外で踊りや太鼓を披露する「ちんどん通信社」の林風見花(ふみか)さんの予定です。
−−「フロントランナー 「きずなや」代表理事・若野達也さん 「認知症の人も同じ住民として活動する」」、『朝日新聞』2016年09月03日(土)付土曜版be。
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(フロントランナー)若野達也さん 「認知症の人も同じ住民として活動する」:朝日新聞デジタル