日記:日本の近代仏教のあり方の一つの特徴としてのエンゲイジド・ブッディズム

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もともとエンゲイジド・ブッディズムというのは、ベトナムのティク・ナット・ハンという坊さんが言い出した言葉ですが、この方はベトナム戦争時代に反戦運動に積極的に関わりました。当時のベトナムの坊さんたちは焼身自殺などを行って非常に強い反戦運動を行いました。そういう状況の中から出てきた言葉でして、したがって、社会参加といってもかなり強い政治的なプロパガンダを含んでいます。しかし、いわゆる政治主義ではなくて、むしろ仏教の立場から戦争に反対し、平和を望む。それを積極的な行動で示していくというタイプの仏教だったのです。
 その後、アメリカで積極的に社会的な発言をしたり、あるいは活動をしていくようなタイプの仏教をエンゲイジド・ブッディズムと呼んで、それに対してアメリカとかヨーロッパの研究者、あるいは仏教に関心を持つ人たちもそれを積極的に評価するようになって、エンゲイジド・ブッディズムというのは非常に重要なテーマとなっているわけです。
 その範疇の中には通常、ベトナム反戦運動のほかに、例えばインドにおけるアンベードカルなどが行った被差別者の解放運動、それからスリランカとタイの仏教者の活動も含めて考えられています。特に、スリランカとタイでは、政治の力の及ばないような農村などへも仏教者が積極的に入って啓蒙活動を行うと同時に、例えば教育とか農業設備というようなものにまで積極的に関与して、一種の村おこしにまで仏教が中心の役割を果たしてきたわけです。
 そういうものがエンゲイジド・ブッディズムと呼ばれるものでありまして、実際、人間仏教というのは、かなりエンゲイジド・ブッディズムと近い側面を持っているわけです。
 では、日本でそれに対応するものがあり得るかというのは非常に難しい問題です。必ずしもぴったりしたものはないし、それがある意味では日本の近代仏教の特徴でもあるのです。むしろ日本の場合、そういう社会的な活動は新宗教の運動に任せられています。
 ですから、仏教系の新宗教、例えば創価学会であれ、立正佼成会であれ、あるいは直接仏教系ではないのですが、例えば天理教などの新宗教の活動というのは、かなりエンゲイジド・ブッディズムに近いものを持っています。むしろそういう新宗教運動と伝統的な仏教の教壇の活動がかなり分かれてしまったのが、日本の近代仏教のあり方の一つの特徴ではないかと考えられます。
末木文美士『日本仏教の可能性 現代思想としての冒険』新潮文庫、平成二十三年、49―51頁。

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