書評:南原繁研究会編『平和か戦争か 南原繁の学問と思想』to be出版、2008年。


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 南原は、その生涯において一度だけバルトと出会っています。一九五二年にヨーロッパを回ったとき、ドイツでは歴史家フリードリヒ・マイネッケやヒトラーと闘ったバルトの盟友マルティン・ニーメラーなどと出会い、とても共感を覚えています。

 「私がドイツについて、また彼が日本について、考えていたことが、不思議にも完全というほど一致したことを、驚き且つ喜んだのであった。なかんずく、過去における両度の大戦に顧み、且つ今後相対峙する二つの強固な陣営の間にあって、将来世界の恒久平和策として、ドイツ之中立を説くところは、私の心から賛同を惜しまなかった点である」(29)。

 しかし、なによりも、バーゼルで出会ったバルトの印象は強烈だったようです。

 「ニーメラーとともに、あるいはそれ以上に、現在ドイツの精神界に重きをなしているのは、神学者バルト博士(Karl Barth)であるであろう。博士は、戦前ブルンナー博士と並んで、「危機の神学」の双璧としてわが国にも紹介され、当時ある人々からはこの神学思想をナチス全体主義となんらかの内的関連があるように解釈されたが、その誤りであったことは、われわれの当初観ていた通りである。……
 この碩学が私に与えた印象は、短い顎髭を蓄え、人懐こい眼をした、ユーモアにも富んだ、人間としての素朴さと善良さであった。しかも、この人が、ドイツ再軍備のはじめて問題となったとき、これを促す米国の政策を論難して火のような言葉を吐いたのであった。「終戦後、ドイツ国民に戦争の玩具まで禁止し駆逐した同じ権力が、いまにわかに道徳、殊に神聖な義務の名において歳武装を説くことは、まさに神聖の冒涜である」と。そして、私に語ったところによれば、博士自身はパシフィストではない。それは、このようなドイツ国民にとっての根本的な精神問題を当面の政策の道具とする似而非道徳と機会主義に対する憤激と抗議にほかならない。けだし、現代ドイツ精神界の汚れなき真理と良心の声といえるであろう」(30)。

 私は、南原がバルトのユーモアに印象づけられたということに大いに注目しました。
 「力強く落着いてユーモアをもって」というのはバルト愛好の言葉でした。終末論的希望から生まれる心のゆとりのゆえに、世界の現実を、そのあるがままにリアルにみる勇気と力とを与えられるというのです。そこに時代の状況に流されない真実なリアリズムが出てくるのでしょう。
 バルトの挑発的とも言うべき時代批判の発言−−冷戦の只中で東西世界の間に立つ中立を説いて、当時、ヨーロッパ中で悪評の的となったバルトの姿に、私には、全面講和論をかかげて曲学阿世と罵られた南原の姿が重なります−−にひそむ預言者的カリスマ的な証しは、高度の知性に裏づけられた政治的リアリズムをともなうものでした。
 今こそ私たちは南原の思想的遺産を−−国際政治の現代的状況を見据えた坂本講演の鋭い指摘のように−−批判的に継承する者として生きなければならないでしょう。その際、終末論的希望に立って−−さらに一般化して言えば、普遍的な価値に開かれた地球市民としての連帯性への希望に立って−−日本と世界とを覆う怪しげな雲行きの只中にあっても、なお「力強く、落着いて、ユーモアをもって」、この時代精神に断固として反対する姿勢を問われているのではないでしょうか。
(29)南原繁「今後の世界をつくる人々−−ドイツを中心として」(一九五二年)『著作集』第八巻、所収、一一四頁。
(30)南原、前掲書、一一五−一一六頁。なお、ついでに言えば、『南原繁書簡集』(福田歓一編、岩波書店、一九八七年)の一つには、このときのバルトとの出会いの思い出が感慨深く記されています(日原章介宛、昭和四三年一二月一六日付け書簡、同上書、四七三頁)。
    −−宮田光雄「南原繁カール・バルト」、南原繁研究会編『平和か戦争か 南原繁の学問と思想』tobe出版、2008年、48―50頁。

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ツイッターのまとめで、しかも書評というよりは、南原繁カール・バルトから何を学ぶのかという話に近いのですが、とりあえず残しておきます。。。



南原繁研究会編『平和か戦争か 南原繁の学問と思想』to be出版。本書の肝は、2つの講演。坂本義和南原繁とその後」、宮田光雄「南原繁カール・バルト」。両先生とも南原門下。坂本先生の講演では、「昭和」天皇観、国家観、憲法九条観、宗教観の4つの功罪(先見性と限界)をスケッチする。

坂本義和南原繁とその後」。ロサンゼルスで生まれ上海で育った坂本先生らしい。カントの「世界公民」の意義を念頭に置きながら(南原もカントを高く評価)その限界を私たちの課題として提示する。真理立国と民族共同体への愛のバランスはいかに。

一昨年、坂本義和先生が上程された(自伝といってよいでしょう)『人間と国家――ある政治学徒の回想』(岩波書店)は積読なので、近いうちに紐解きます。

坂本義和先生は、南原門下の丸山眞男ゼミ出身。お父様の坂本義孝氏は、東亜同文学院教授。東亜同文学院は、近衛文麿のオヤジの近衛篤麿によって創設だから、いろいろな意味で、入れ子関係になっていると思う。こういう面倒くさい関係をスルーすると、敵か味方かという二元論が政争によって利用される。

最近、色んな人から「氏家さん、撤退したんすかw」って言われるけど、自分自身、徹底追及は辞めていないけどtwとかで3.11ネタのポストは減ったと思う。しかし、そうした空間における言語流通において「撤退したんすかw」っていうのも違うとは思うんだよね。人によって使い方は千差万別だけど

宮田光雄「南原繁カール・バルト」。カントの批判哲学と無教会主義に立脚する南原と、文化主義を否定しキリスト論中心のカール・バルトの「この世を撃つ」相似をスケッチした意欲的な講演。「この世」を絶対化する動員が南原、バルト共通の敵。

両者の翠点はバルト「今日の神学的実存」(1933)。南原の主著とレーヴィットの知見をもとに、発想の枠組みの同一意識を、短い講演録で証示する宮田先生の力量には驚く。南原・バルト門下だからさもありなん。

キリスト教に限らず世界宗教の眼目とは何か。私見によれば、仮象にすぎないものを仮象であると示唆することであろう。彼岸にも此岸にも撤退する必要はない。丸山眞男的に表現すれば「あまのじゃく」だ。籠絡をさせ、絶えず水平思考を促す。

そうしたアンチノミーの「自覚」が割愛されてしまうと、容易に人間は人間を毀損してしまう。「危機の神学」とは、人間存在の危機でもある。そこを単純化することを退け、丁寧にあるしかない。

さて、バルトの危機意識にも似た南原のそれは、やはり内村鑑三の「再臨」信仰に尽きる(それ自体がまさに「キリスト論」中心)。残念なのは戦前昭和のバルト主義者が雪崩をうって国家主義に関与したことだ。

このへんは、めんどくさい話なんだけど、ネタは準備しているので、そのうち論文に仕上げて……うわやめろ。







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