覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『江分利満家の崩壊』=山口正介・著」、『毎日新聞』2013年02月17日(日)付。




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今週の本棚:川本三郎・評 『江分利満家の崩壊』=山口正介・著
毎日新聞 2013年02月17日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇切実な覚悟で記した、亡き両親の私小説

 山口瞳が死去したのは一九九五年(平成七年)。

 子息である著者と、母親の二人だけの暮らしが始まった。四十代なかばになる著者は独身。母子二人の静かな生活が始まると傍目(はため)には思われた。知人は「これからは自分のやりたいことをやりなさい」と励ましてくれた。

 しかし、そうはならなかった。母親が大変な病気を抱えていたから。山口瞳が『江分利満氏の優雅な生活』のなかで「テタニー」という病名で触れている心因性の厄介な病気である。不安神経症、パニック症候群。

 何よりも一人でいられない。いつもそばに誰かが付いていなければならない。乗り物恐怖症でバスに乗れない。近くに買物に行く時もタクシーを利用する。風呂場に一人でいるのを怖がり入浴も嫌がる。

 著者が中学生の頃、こんなことがあった。ある夜、睾丸(こうがん)が痛み出した。あいにく父親は外出している。あまりの痛さに母親に救急車を呼んでくれと頼むと、なんと母親は「知ってるでしょ、ママは知らない他人の車に乗って、知らないとこへ行けないのよ」と突き放す。息子が痛がると、自分もヒステリックに叫ぶ。

 こんな母親だから著者は書く。「今にして思えば、僕の半生はこの母の神経症との戦いの日々だった」。母親を置いて自由に外出が出来ない。取材、とりわけ海外取材の仕事にも支障が出る。

 それでも発作が出ない時の母親はしっかりしている。多忙な夫を支えたし、その死にもきちんと対応した。ただそれがいつ急変するか分らない。正常と異常の落差が大きい。

 著者は、この母親の病いを赤裸々に語ってゆく。日本の近代小説の特色である私小説が、家族の秘密をあえて書くことなのだとすれば本書はまさに私小説と呼んでいい。書いてはいけないことを書く。その思い切った覚悟が本書を力強い読みものにしている。

 母親が宿痾(しゅくあ)というべき不安神経症になったのはなぜか。著者は、原因は母親が若い頃に二度、中絶をしたことにあるのではないかと推察する。後年、母親は著者にその話をし、「パパが反対しなかったんだよぉ」と絞り出すように言ったという。

 とすれば母親の心の病いには父親、山口瞳にも責任がある。著者は、そこからさらに思い切った「秘密」を明らかにする。ちょうど山口瞳が『血族』によって実家が遊廓(ゆうかく)であったことを書いたように。

 母親が中絶のあとに精神的に落ちこんだ時に父親はこう言った。「あなたの家はみんなおかしいから、あなたも、いつかおかしくなると思っていました」。本人は軽口だったのかもしれないが、この言葉が母親を深く傷つけた。

 「今現在の僕は、母の一生を決めてしまった乗り物恐怖症に代表される、母の生涯を通しての精神の病の本当の原因は、この父の心ない一言だったと確信している」

 といっても著者は父親を批判しているのではない。まして二〇一一年に癌(がん)で亡くなった母親を嘆いているのでもない。自分の愛する両親はこうだったと息子として冷静に事実を書いている。無論、時に筆が乱れることがあったとしても。

 後年の山口瞳に『人殺し』という小説がある。銀座のホステスとの交情を描いたもので、当然、母親は衝撃を受けた。

 二〇〇九年に癌と分かり、余命一年と宣告されたあと、母親が始めたことは、『人殺し』で書かれたことが事実であったかどうかを調べて明らかにすることだった。あれはフィクションだったという願いをこめて。弱ってゆくなか、夫の“無罪”に立ち向かおうとするこの気力には圧倒される。

 ここにも私小説が持つ、身を削ってこその感動がある。両親とも、息子に自分の「秘密」を書いてほしくなかったかもしれない。しかし息子である著者はあえてそこに踏みこんだ。両親の本当の姿を書かなければいま以上に亡き両親のことを愛せないのだから。

 現在、還暦を過ぎた著者は明らかに覚悟を決めて本書を書いている。その切実さが静かな感動を与える。時には穏やかなユーモアさえあるのに驚かされる。

 母親は余命一年を告げられたあと思いがけずしっかりしている。最後の正月に息子に「今年は大変なことになると思うけど、あんたも頑張って」と優しく言葉を掛ける。死の準備もする。最期の時は、入れ歯をきちんと入れ、口を開かないようにしてほしいと細かな指示も与える。遺影も用意する。

 その母親が他方で病院の枕にボールペンで「死ナシテ」「死ニタイ」と書いた。胸を衝(つ)かれる。「母さん、これが絶筆じゃ、悲しいよ」。死ほど人を厳粛にさせるものはない。

 「瞳の元に早く行きたい」と言い続けていた母親は、夫と同じホスピスで二〇一一年三月十三日に逝った。東日本大震災直後の混乱のなかで、死を看取(みと)れなかったことを著者はいまも悔んでいるという。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『江分利満家の崩壊』=山口正介・著」、『毎日新聞』2013年02月17日(日)付。

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