覚え書:「耕論:ヘイトスピーチへの処方箋 樋口直人さん、師岡康子さん、阪口正二郎さん」、『朝日新聞』2014年10月02日(木)付。


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耕論
ヘイトスピーチへの処方箋 樋口直人さん、師岡康子さん、阪口正二郎さん
2014年10月2日

 全国に広がるヘイトスピーチ(憎悪表現)。今夏、国連の二つの機関が相次いで日本政府に対処を求めた。だが、法規制には慎重論もある。どんな処方箋(せん)が必要なのか。

 ■極右を保守から切り離せ 樋口直人さん(在特会を調査した社会学者)

 社会でうまくいかず、鬱積(うっせき)した感情のはけ口を求めて差別デモに加わる――。街頭でヘイトスピーチを垂れ流す差別デモの参加者について、こんな解釈を何度もメディアで見聞きしました。実は私も、あれは不満や不安が産み落とした排外主義運動だと思い込んでいた。

 ところが、現場に行くとどうも雰囲気が違う。2011年から1年半かけ、在日特権を許さない市民の会在特会)の活動家ら34人に話を聞いて、ようやく実像が見えてきました。通説の多くは根拠の乏しい神話であることがわかったのです。

 学歴では大卒(在学中・中退を含む)が24人。京大卒や東工大卒のエンジニアもいました。雇用形態も、正規が30人に対して非正規は2人。普通の会社員に多く出会いました。職業をみるとホワイトカラーが22人、ブルーカラーは6人でした。

 「移民が増えると摩擦も増え、排外的な運動が広がる」というのは欧州の定説ですが、日本の場合はこれも違った。摩擦がなかったどころか、日常生活で外国人との接点すら持っていない人がほとんどでした。実は在日コリアンの実情をほとんど知らない人々が起こした運動だったのです。

 では、なぜ在日が標的になるのか。日本に最近やってきた外国人ではなく、長く日本で暮らし、地位も確立した「モデル・マイノリティー」たる在日が攻撃されるなんて、欧州の極右運動の常識では理解できません。ここに日本の排外主義の特質があります。

 発端は00年代前半、韓国や中国、北朝鮮への憎悪に火がつきました。日韓W杯や反日デモ拉致問題がきっかけです。その矛先が、国内の在日に向けられた。歴史修正主義に出会ってゆがんだ目には、在日という存在は「負の遺産」で敵だと映った。東アジアの近隣諸国との関係悪化が端緒だったのです。

 憎悪をあおる舞台装置がインターネットでした。韓国発のネット情報をゆがめて伝えたり、「在日特権」なる完全なデマをばらまいたり。反差別法がある欧州ならすぐに監視団体が削除させるような妄想が、何の規制もないまま拡散していった。

 その情報源になったのが右派論壇です。「嫌中憎韓」は右派月刊誌レベルでは00年代前半に始まっていた。つまり右派論壇が垂れ流した排外的な言説を、ネットが借りてきてデフォルメし広げた。さらに00年代後半に登場したネット動画が、憎悪を行動に転換させた。憎しみはヘイトスピーチという形で街頭に飛び出していったのです。

 ひどい言葉をまき散らすヘイトスピーチですが、これを「病的な人々の病的な運動」と見ていては事の本質を見誤ります。意外に普通の市民が、意外に普通の回路をへて全国各地で大勢集まった。それなりの筋道のある合理的な行動なのです。ここに、この極右市民運動の新しさと怖さがあります。

 ヘイトスピーチの法規制は、実は保守が極右との関係を整理できるかどうか、という問題だと考えています。極右は常に、ナショナリズムにおいて保守の右から強硬な主張をする。その境目に「防疫線」を引き、正常な政治と市民生活から極右を切り離す必要があります。

 さもなければ、保守はより右に引っ張られる。国際社会からも、安倍政権はやっぱり極右なのかと見られます。それではまともに国を運転していけません。きちんと損得勘定できるリアリストが、政権内部で頑張れるかどうかですね。

 欧州なら極右政党と呼ばれるべき政党も、すでに次々と日本で誕生しています。まともな保守政権でいるためには、対象を限定したうえでヘイトスピーチの法規制に踏み込むべきです。それで規制が弱くなったとしても、極右を切る、という意志を政権が示す政治的な効果が大きいのです。(聞き手・萩一晶)

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 ひぐちなおと 69年生まれ。05年から徳島大学総合科学部准教授。日系ブラジル人や移民の問題を研究。著書に「日本型排外主義」、共著に「顔の見えない定住化」など。

 ■放っておけば暴力に発展 師岡康子さん(弁護士)

 ヘイトスピーチをする側は、相手は同じ人間ではない、汚い存在だと攻撃します。それも民族や国籍という、変えることができない、あるいは難しい属性を突いて口汚く侮辱する。ゴキブリやうじ虫にたとえる。差別デモを見たら、ひどいと感じる人がほとんどでしょう。

 ただ、法律で規制するとなると異論が出る。「言論には言論で対抗すべきだ」とか「自由な批判を萎縮させる」とか。ヘイトスピーチがもたらす害悪がいかに深刻か、十分に伝わっていないんだなと思いますね。

 たとえば京都朝鮮学校の事件では、街頭宣伝を聞いたショックから今でも1人で留守番できない子がいます。苦痛や恐怖、絶望をもたらす、「魂の殺人」とも呼ぶべき行為なのです。近隣との関係も破壊された学校は移転を余儀なくされました。

 こんな差別はすぐに止める、というのが国際人権法の考え方です。放っておくと社会に差別が広がり、物理的な暴力につながりますから。確信を持って差別している人たちは、法律で強制的に止めるしかない。

 1965年に人種差別撤廃条約ができたのも、ネオナチの運動が欧州で広がり、またユダヤ人虐殺に発展しかねないという危機感からでした。翌年には自由権規約ができ、いずれもヘイトスピーチを禁じています。日本は両方とも加盟している。

 にもかかわらず、ヘイトスピーチを「違法」として規制する義務を政府は規約の批准から35年もサボってきた。新法で規制するほどの差別はない、との主張が理由の一つです。実態調査をして具体的な根拠を示して言うのなら、まだわかりますよ。でも、それすらしていない。

 それは戦後、この国自らが在日コリアンを差別し、民間の差別も放置してきたからです。その責任が問われるから、現実から目をそむけてきた。

 定義があいまいなまま法規制に走れば、権力がこれを乱用して表現の自由を危うくしかねない、という心配は私もあります。ヘイトスピーチ規制の名の下に、政府批判を弾圧した例は海外で実際ありますから。

 その危険を避けるには、まずは土台となる差別禁止法をつくることです。今回の国連勧告でも、そう求められています。

 日本社会には就職や入居など多くの場面で外国人への差別がある。特に在日への差別は、植民地支配への反省が戦後、十分になされなかったことが根底にあります。まず差別を違法とする差別禁止法をつくり、その中にヘイトスピーチ規制を位置づける。規制の対象は明確に限定する。権力が乱用できない仕組みを工夫すればいいのです。

 残念ながら時間はかかるでしょう。しかし今の危うい政治状況を考えると、この正攻法で進むしか道はない。そう考えています。(聞き手・萩一晶)

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 もろおかやすこ 92〜07年、東京弁護士会・両性の平等に関する委員会委員。その後、米英に留学。外国人人権法連絡会運営委員。著書に「ヘイト・スピーチとは何か」。

 ■法規制、拡大や乱用懸念 阪口正二郎さん(一橋大学教授)

 「死ね」「日本から出て行け」といったヘイトスピーチはひどいものです。人種や性別、性的指向など属する集団を理由に攻撃する憎悪表現に、言論としての価値はありません。

 昨年10月、朝鮮学校周辺での差別的な言動に対し京都地裁は損害賠償を命じました。しかし、「朝鮮人」といった不特定多数に向けたヘイトスピーチについて、法的な責任を問えないのが現状です。

 目の前で起きている被害を新たな法律をつくって防げ、という主張は理解できます。

 ただ、例えば「在日韓国・朝鮮人には特権がある」という発言は文脈によっては政治的な表現となる可能性があり、法律での規制は妥当ではありません。政治的な表現の自由が守られなければ、民主社会でなくなるからです。乱暴な言葉を用い政治的表現がなされることがありますが、民主主義を守るためにある程度は社会がコストを負担する必要があります。

 日本での法規制は慎重にすべきです。取り締まるにしても対象を明確にし、なるべく限定的な内容にすべきでしょう。

 1970年代後半、ユダヤ系住民が多く住む米シカゴ郊外の村にネオナチの団体がナチスの軍服を着てデモを計画したとき、村が条例によって規制しようとしたことがあります。米自由人権協会は表現の自由に関わるとして団体への支援を決め、連邦地裁も条例が違憲という判決を下しました。米国では表現の自由に対する意識が強く、ヘイトスピーチの法規制はありません。

 一方、ナチスによるユダヤ人排斥を経験した欧州では、刑事規制があるドイツをはじめ法規制が主流です。65年に人種関係法が制定された英国では、人種に対する憎悪表現の文書や言葉の使用が規制され、86年の公共秩序法で演劇や映像の記録物など表現手法の対象を広げたほか、2006年には宗教的憎悪にも拡大されています。

 法規制が一度導入されると、対象が次々に拡大される可能性があるのです。今年8月末、自民党ヘイトスピーチの法規制を含めた防止策を検討した会合で、国会前の脱原発デモなどの規制を求める意見が出されました。9月1日に高市早苗政調会長(現総務相)は国会周辺のデモについての法的規制を否定する談話を発表しましたが、デモ規制に飛躍させようとする姿勢では信頼を置くことはできません。

 ヘイトスピーチの法規制という外科的処置が実施されたとしても、根本的な問題解決のカギは教育です。中学や高校では近現代史の授業時間が短く、朝鮮半島の歴史や日本との関係がきちんと教えられていません。問題の本質を知り、人々の意識を変えない限り差別は残ります。(聞き手 編集委員・川本裕司)

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 さかぐちしょうじろう 60年生まれ。早稲田大卒。東大社会科学研究所助手、助教授などを経て01年から現職。専攻は憲法表現の自由を中心に研究。著書に「立憲主義と民主主義」など。
    −−「耕論:ヘイトスピーチへの処方箋 樋口直人さん、師岡康子さん、阪口正二郎さん」、『朝日新聞』2014年10月02日(木)付。

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