覚え書:「インタビュー:米歴史家らの懸念 米コロンビア大学教授、キャロル・グラックさん」、『朝日新聞』2015年06月05日(金)付。

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インタビュー:米歴史家らの懸念 米コロンビア大学教授、キャロル・グラックさん
2015年06月05日

(写真キャプション)「今は、日中韓の若者に広がる民族主義が心配だ」=米ニューヨーク、坂本真理氏撮影


 米国を代表する日本研究者らが、日本の歴史認識をめぐり、過去の過ちの「偏見のない清算」を呼びかける声明を発表した。そこに込められた思いは何か。なぜ、400人以上の研究者が賛同したのか。声明の作成に携わり、日本だけでなく、世界で「記憶」の研究を続けるコロンビア大学のキャロル・グラック教授に聞いた。

 ――声明への反響をどう見ていますか。

 「これほど注目を浴びるとは思っていませんでした。最終案に署名した187人は組織的に集めたわけではなく、研究分野も様々で、政治的信条も保守からリベラルまで幅広い。これだけ多様な人が支持しているのだから、声明はバランスが取れていると思います」

 「きっかけは3月末にシカゴであったアジア関連の学会です。数人の研究者が慰安婦問題をめぐって日本の歴史家たちを支援したいと。取りまとめ役が草案を作って約30人に送り、全員でメールをやりとりして文章を練りました。通常は1人が書いて賛同者を募ることが多く、こうした共同執筆は私も初めての経験でした」

 ――日本国内では、賛否様々な反応がありました。

 「ええ。私たちを『反日』だと非難する人たちもいました。しかし、署名者の多くは1980年代、米国などで『日本の擁護者』だと言われていたのです。日本に甘すぎる、と。だからそうした批判を受けると少しおかしな気持ちになりますが、決して反日などではありません」

 「ほかにも驚きがありました。『賛同したい』という日本関連研究者が次々と名乗りを上げてきたのです。しかも世界中から。事務的な都合で締め切りを設け、最終的には約460人になりましたが、まだ希望者は増えています」

 ――なぜ、これほどの関心を呼んだのでしょうか。

 「戦後60年の節目では、慰安婦問題が今のように注目を受けることはありませんでした。その後の10年間に変化があったのです。まず日本国内です。安倍晋三首相が2度目の就任をし、日本の世論や政治状況、安全保障をめぐる環境も変わった。戦後70年の『安倍談話』に期待するナショナリズムも国内で高まっています」

 「国際政治の状況も変わりました。思わぬ形で慰安婦問題が東アジアにおける戦後70年の焦点になり、海外でも多くの人が安倍談話に注目するようになった。日本研究者だけではなく、政治家もです。オバマ米大統領メルケル独首相らがこの問題について言及をしているように」

   ■     ■

 ――談話では慰安婦に触れざるを得ないのでしょうか。

 「慰安婦問題は安倍首相だけが作り出したわけではありません。韓国はこの数年、積極的に国内外で問題にし、日本の責任を強調している。韓国系米国住民らの働きかけもあり、2007年には米下院で日本の責任を問う決議が採択された。中国や韓国は以前から『日本の歴史認識』を政治的に利用してきましたが、最近は慰安婦問題がその代表になっています」

 「ただ皮肉なのは、慰安婦問題は過去にほぼ解決していたということです。宮沢喜一元首相は自ら韓国で謝罪したし、河野談話も発表された。その後も日本は何度も謝っている。しかし、安倍首相が河野談話を検証し、見直す趣旨のことを言い始めたため、問題が再燃したのです。日本の人はよく『謝罪疲れ』を口にします。それは分かりますが、見直しを言い出したからこそ、改めて謝罪が注目されるようになった」

 ――グラック教授は2年前のインタビューで、安倍首相は「地政学的無神経」ではないかと指摘されていましたね。

 「いえ、彼はもう無神経とは言えないと思います。もし地政学的な状況に無頓着だったら、一度言い出した『河野談話の見直し』を撤回したりはしないでしょう。しかし、問題を抱えているのは事実です。今、安倍首相は国内の期待と海外の評価の間で、難しいバランスを求められています」

 ――その中で再度、慰安婦問題に向き合う必要がある、と。

 「史実は動きません。自発的に慰安婦になった人や募集に応じた人もいるのは確かですが、軍のための組織的な売春があったのは否定できない。当時は問題がなかったとしても、現在の価値観に照らすと許容できない行為だったのは間違いない。長い間、戦時下の性暴力は当然とされていましたが、今では人道に対する罪に位置づけられている。それに、重要なのは人数ではない。ナチスによるホロコースト犠牲者の細かい数について誰が問題にするでしょうか」

 ――現在の価値観を過去の行為に適用するということですか。

 「価値観は時間を経て変化しますが、事実は変わりません。米国は最も長く奴隷制度を維持していた国の一つであり、それは明らかに間違っていた。後遺症は今もある。でも、少なくとも現在の米国には奴隷制度はない。史実を否定するのではなく、『今だったらしない』と認めることが大切です」

   ■     ■

 ――声明では日本だけでなく、韓国や中国の「民族主義的な暴言」についても指摘しました。

 「この表現は、最初の草稿から入っていました。いずれの国もナショナリズムに歴史を利用しています。国内向けの行動ですが、大変に危険です。だからこそ海外の研究者や政治家がこの問題を気にしているのです。東アジアが歴史問題をめぐって不要な対立に陥ることは誰も望んでいません」

 「もっとも、問題は東アジアだけで起きているわけではない。東欧でも第2次大戦の記憶をめぐって民族主義的な動きが急です。ロシアのプーチン大統領ウクライナについて話す時、比較として戦時中の話を持ち出すように」

 ――なぜ、今なのですか。

 「第2次世界大戦は70年前に終わったが、戦後の時間の流れは均一ではなかった。冷戦のさなか、西欧では経済や安全保障をめぐって仏独が共に行動する必要があり、早くから共通の記憶の形成に向けて動きました。それでも半世紀かかりましたが、1995年には各国の首脳が共に戦後50年を記念する行事に参加しました」

 「しかし、戦後50年の行事では東欧の存在が欠落していた。東欧の戦後が本格的に始まるのは、冷戦が終結し、ソ連が崩壊した91年です。その時から多くの国が戦争に関する記憶を取り戻そうと活動を始め、ドイツだけでなくソ連から受けた被害についても語られるようになる。東アジアも東欧に似ているのです。日本では長く、米国との戦争ばかりが記憶されていた。その影響は『太平洋戦争』という名称にも表れています。でも冷戦が終わり、アジアの国々とも向き合う必要が生まれた。日本は自国の状況が特殊だと思いがちですが、そんなことはありません」

 ――それでは、緊張はどう解決すればいいのでしょう。

 「完全には解消できなくとも、象徴的な行動でかなり緩和されることがあります。西ドイツのブラント元首相が70年にワルシャワの記念碑の前でひざまずいたのが典型です。あの場では特に発言はせず、謝罪もしていない。それでも、あの姿は今でも語られています。安倍首相がソウルで慰安婦像に献花をすれば、いったい誰が批判できるのですか」

 ――声明でも安倍首相の「大胆な行動」に期待していますね。

 「この部分は、安倍首相が米国で演説をした後に加えられましたが、個人的には大胆な行動でなくてもいいと思っています。でも、政治的に賢い行動を期待しています。日本は素晴らしい国で、世界中から尊敬を集めている。巨大なソフトパワーも持ち合わせています。それを他の国の教科書会社に抗議するために使うのではなく、賢く用いて欲しい。慰安婦問題をいつまでもくすぶらせず、前へ進むことは可能なはずです」

 (聞き手・中井大助、真鍋弘樹)

     *

 Carol Gluck 1941年生まれ。専門は日本近現代史、歴史と公共の記憶。米アジア学会(AAS)元会長。

 ■取材を終えて

 最近、「反日」という言葉を頻繁に見かける。今回の声明に対しても、そうした言葉を使った批判がある。しかし、グラック教授も言うように、賛同者たちは多くの時間を日本で過ごし、日本研究に人生を捧げてきた。その人たちを「反日」というのであれば、いったいだれが「親日」なのだろうか。戦後70年の首相談話に海外から注目が集まるのは、決して「日本批判」のためではない。

 (中井大助)

 ◆キーワード

 <米国の日本研究者らの声明> 「日本の歴史家を支持する声明」として、5月初めに英語と日本語で発表された。第2次世界大戦以前の「過ち」について「全体的で偏見のない清算」を呼びかけ、慰安婦問題などで安倍晋三首相の「大胆な行動」に期待を表明した。当初の署名者は187人で、ハーバード大エズラ・ボーゲル名誉教授やマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授ら、著名な日本研究者が多数含まれる。賛同者は増え続け、5月下旬には約460人となった。
    −−「インタビュー:米歴史家らの懸念 米コロンビア大学教授、キャロル・グラックさん」、『朝日新聞』2015年06月05日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11791818.html


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