日記:佐高信「松本人志と創価学会の親近性」批判
今日発売『週刊金曜日』の特集「松本人志と共謀罪」を読む。『4時ですよーだ』のプロデューサー・田中文夫氏の「前略 松本人志様」が強烈。「誰かが不正アクセスをして『松本人志』を乗っ取った」かのよう、「我らのナイーブな天才『松っちゃん』を返してください」。 pic.twitter.com/1ePMuW4dKr
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) 2017年7月21日
特集「松本人志と共謀罪」を読んだ。松本の変節と共謀罪の成立を許した私たちの社会の問題をえぐる特集だが、佐高信「松本人志と創価学会の親近性」は酷すぎる。佐高が創価学会大嫌いなのは自由だが、属性差別の言説は金曜日の存在意義自体屠るものだhttps://t.co/ALtHQoEA7k
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
佐高信がエビデンスに基づかず大嫌いな創価学会を叩くことは識者として失格だが、まあ、自由といえば自由。松本人志が共謀罪推進で問題なのは了解するが、彼の母親が熱心な創価学会の会員であることとその両者は連結されない。いかに現在の学会がおしまいであろうとも。こういうことはやってはいけない
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
松本人志が共謀罪をヨイショしようとも、その母親が熱心な創価学会の会員であることの何が問題なんだろう。何で親の信仰を「引照」して批判しなければならないのだろうか。それを属性差別という。佐高信が松本人志の共謀罪ヨイショを批判することは理解するが、やってはいけない手法でやっている訳。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
もう、21世紀なんだぜ。好き嫌いは自由だし、何かを批判することは大事だとは思うけれども、例えば、創価学会キチガイ、だからその子どもの思想もキチガイみたいな「牽強付会」でさもものごとを語ったような態度を取るのはよしこさんですよ。21世紀の創価学会批判の急先鋒が言うのも何ですけどね。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
創価学会員は常に差別されてきたと思います。私自身そうですが、創価学会員であるということを他人に明らかにするのは非常に怖いというか、例えばカミングアウトすることで就職できなくなるんじゃないかという抵抗感がありました=氏家法雄 『宗教と現代がわかる本2016』177頁。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
何度も繰り返しになるのですが、創価学会がいじめ抜かれたのはマイノリティの宗教(社会的弱者・反権力)としての民衆宗教であった点。今はズレているけど、だから僕はカミングアウトしたくはなかったけど、カミングアウトしないと始まらないからそうした。だけど、取り巻く状況は変わっていないのよね
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
端的に言えば、佐高信は、創価学会をめぐる議論に関しては、ただの属性差別主義者だったということ。好き嫌いはあろうとも、主語を何に入れ換えても、それはやってはいけない言説。これをリベラルの「限界」と短絡したくはないが、そういう言説でしか戦えないならば、彼が批判する権力と同床異夢。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
佐高信をリベラルとするかどうかは議論が別れるとは思うが、それでも、結局は、主語が違うだけで池田信夫と五十歩百歩の言説で、(池田は権力擁護、佐高は)権力批判をしている訳でしょ。そら、権力に負けるわな。そういう地上の重力から自由になるというかエポケーするのが闘う前の話なのにね(呆
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
私自身は、松本人志の言説とその変節にはプロテストする立場であることに変わりはない。しかし松本の言説とその変節を批判するにあたり属性差別を動員することはプロテストとイコールではない。『週刊金曜日』の誠実な対応を求めるものである。https://t.co/Ba4uTwMP73
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日
すかしっぺだけ放っておくと、私の佐高批判は、「民衆宗教」から逸脱した1%のエリートに独断される信濃町とその手先である下駄の糞をヨイショする議論ではないのは言うまでもない。本当は貴様らが、あらゆる差別に対峙しなきゃならん筈なのだが、代わりに仕事しといたので感謝ぐらいしときなさい。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年7月26日