病院日記(3) 洗う−洗われる 蜘蛛の糸の如き必然の対峙




病院仕事(看護助手)の介助入浴の見学を先日しましたが、昨日、実践に投入されました。先日の雑感→ 病院日記(2) アガンベンの「剥き出しの生」とレヴィナスの「倫理」より - Essais d’herméneutique 患者さんは全てを委ねざるを得ない点に「剥き出しの生」を痛感しましたが、実際にやってみると、そうなのだけど、てきぱきとやることができました。

てきぱきというのは、実際に洗わせて頂くと、構えた以上にすんなりできたことに驚き(但し、女性の髪をドライヤーで乾かすのはものすごく難しかった)。ただ、同時に、人工呼吸器や様々な管をつけた患者さんも含まれますので、結構、神経を使ったので、時間はあっという間でしたがもの凄い疲労。

入浴介助しながら、痛感したのは、洗う−洗われるは、(僕たちは)仕事−(患者さんは)必然(=してもらわざるを得ない)という……それは、蜘蛛の糸のような、ほんとに薄い糸……相互の信頼関係?のようなもので結ばれたうえに、成立しているのだなあとも思いました。

今日は、若い男性の看護士さんとペアを組んで20名近くの患者さんのお世話をさせて頂きました。仕事なので、どんどんやっていきますが、先の「剥き出しの生」を実感しつつも、やっぱり「さっぱり」すると患者さんたちは「生き返る」んです。毎度真剣勝負になるのですが、がんばろうと思います。


僕は、配膳と入浴介助で「のみ」患者さんと関わるのだけど、四六時中関わる看護士さんは、凄いと思った。下の世話から看護まで。それから「ねぎらう“声”がけ」がすごい。勿論、仕事だろうけど、「このシャンプー、いい香りですね♪」なんて、僕にはなかなか出てこなかった。凄い人たちだと思った。










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覚え書:「今週の本棚・本と人:『桜ほうさら』 著者・宮部みゆきさん」、『毎日新聞』2013年04月21日(日)付。




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今週の本棚・本と人:『桜ほうさら』 著者・宮部みゆきさん
毎日新聞 2013年04月21日 東京朝刊


 (PHP研究所・1785円)

 ◇筆跡の謎解きに恋を絡めて−−宮部(みやべ)みゆきさん

 主人公は古橋笙之介(しょうのすけ)、22歳。長屋暮らしの浪人。お家騒動に巻き込まれて切腹した父の汚名をすすごうと、近郊の小藩から江戸深川へやってきた。周りで起こる不思議な出来事を解決し事件の真相へと向かっていく。

 「桜と江戸を絡めた話を書きたかった。私なら長屋の花見だと。若い浪人者が登場すれば、面白くなり、恋もさせられる。貸本屋が繁盛し出版業が充実していた時代ですから、主人公の生業(なりわい)を写本作りにしました」

 文字を書く−−ユニークな道具立てによる謎が笙之介の前に立ちはだかる。父の死の原因となった偽文書。誰が書いた? 前藩主が残した奇っ怪な文字。何が書いてある? 拐(かどわ)かしを知らせる脅迫状。犯人像は?

 「書は人なり」。筆跡つまり人が「書くこと」への根源的な問いがちりばめられている。

 「『三島屋変調百物語』では『語り』について取り上げました。文字も語りと同様に人柄を表します。日本人にとって『書くこと』はとても意味のある行為でしたから、主人公の仕事を写本作りにしたのです」

 さらに「恋」という横糸が、物語を彩り豊かに織り上げる。

 仕立屋の娘・和香には身体と顔の左半分にあざがある。が、初対面で笙之介は「桜の精だ」と見とれて一目ぼれ。初々しい2人の気持ちが響きあう。

 「『やせたい』とか、『二重まぶたがいい』などと若い女性が思い悩んでいます。でも私は『恋ってそんなものじゃない』と言いたかった。外見は大したことではない。恋に落ちれば、あなたのほかに何も見えない状態に陥っているのですから」

 長屋でうごめく市井の人々のやさしい言動。が、物語の最後に笙之介の家族やさまざまな人々の冷酷さが明らかになる。

 「家族は揉(も)めているけれど、長屋の住人は皆、仲がいい。生活を共にする人とのやりとりが大切ということでしょうか」

 「桜ほうさら」は宮部さんの造語。「大変だったねぇ」という意味の山梨方言「ささらほうさら」をもじった。

 「500円玉貯金のように少しずつ書き継ぎました。そして桜の時期に本屋さんに並んだ。幸せな本です」<文・桐山正寿/写真・宮間俊樹>
    −−「今週の本棚・本と人:『桜ほうさら』 著者・宮部みゆきさん」、『毎日新聞』2013年04月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130421ddm015070036000c.html








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覚え書:「書評:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹著」、『東京新聞』2013年4月21日(日)付。




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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上 春樹 著

2013年4月21日

◆絶望、孤独から再生の歩み
[評者] 横尾 和博 文芸評論家。著書『新宿小説論』『文学÷現代』など。
 本書の背後には3・11の大震災と原発事故がある。著者が一九九五年の阪神大震災のあと、連作短編集「地震のあとで」(のちに『神の子どもたちはみな踊る』)を発表したように。本書には津波放射能もなにも書かれてはいない。だが大震災が行間に深く埋もれている。私はそのように読んだ。同じ時代の空気を吸ってきた同世代の者の勘である。
 その根拠を謎解きのように提示するのは簡単だ。主人公の多崎つくるという名前。姓は三陸リアス式海岸の多くの岬を象徴し、名はモノ作りと再生を比喩する。人間関係の正五角形とは原子力ムラを暗示。また盛んに使われる「色彩のない」という表現について、私は大津波が押し寄せるさまや、事故後の福島第一原発のモノクロ映像を想起した。そして「調和する親密な場所」は「消え失せた」のであり、「記憶をうまく隠せたとしてもそれがもたらした歴史は消せない」など意味深長な会話文。しかし謎を解き、隠されたキーワードを探し発見すること自体に意味はない。文学は読むのではなく、感じることが大切だと思うから。
 表面上のストーリーは三十六歳の男が、十六年前に体験した親友たちとの決別で負った絶望と孤独を、女友達をとおして過去の傷に向き合い、再生に向けて歩みだす物語。わかりやすいストーリーと難解な意味、風変わりなタイトル、比喩と象徴、著者の本領発揮の作品だ。主人公の多崎つくるは自分が中庸で色彩がない、と思っている。しかし色彩がないことが、ひとつの色彩になっていることに気がついたのは私だけだろうか。いやあの三月の東北の海辺の無機質な情景を見たものは、みな色彩の意味を察するに違いない。
 痛みはどのように克服されるのだろう。忘れることか、あるいは真実と向き合うことか、はたまた…。村上春樹と私たちの心の巡礼の旅は、まだ始まったばかりである。
むらかみ・はるき 1949年生まれ。作家。著書『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』など。
文芸春秋・1785円)
◆もう1冊 
 莫言著『変』(長堀祐造訳・明石書店)。現代中国を代表する作家の自伝的小説。小学校を放校になって以来の人生の変転を描く。
    −−「書評:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹著」、『東京新聞』2013年4月21日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013042102000172.html






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