日記:関東大震災時の朝鮮人虐殺のトリガーとなった要因

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関東大震災時の虐殺

 二三(大正一二)年九月一日、関東地方を襲った大地震とそれによる大火災の中で、数多くの朝鮮人が日本の軍隊・警察、さらには日本人自警団などによって虐殺される事態が生じた。「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「爆弾を持って襲撃してくる」など根拠のないデマが流れ、それを信じた自警団が避難する朝鮮人を捕まえて殺害したり、警察が保護を名目に朝鮮人を収容しながら、警察署の中で殺害したりする事件が関東地方各地で起こった。殺された朝鮮人の数は司法省の発表では二三三名、朝鮮総督府の資料では八三二名、政治学吉野作造(一八七八〜一九三三)の調査では二七一一名とされるが、朝鮮人留学生らが「罹災同胞慰問団」の名目で行った調査では六四一五名という数字があげられている。日本政府が朝鮮人虐殺の事実を隠すために調査を妨害したので、正確な死者数は不明だが、千名単位の死者があったことは否定できない。

 なぜこのような事件が起こったのだろうか。いくつかの原因が考えられるが、根本にあるのは朝鮮人を侮蔑する反面で危険な存在として警戒し恐れる意識が日本人の間に広まっていたことである。朝鮮を植民地として支配する中で朝鮮人を劣った存在と見下しながら、一方で三一独立運動とその後の独立運動が展開されると、日本の抵抗する「恐ろしい存在」でもあるとみなすようになった。当時の新聞などでは「不逞鮮人」という用語が使われていた。日本(天皇)から恩恵を施されているにもかかわらず、反抗する怪しからぬ奴らという意味をこめた言葉である。新聞にはしばしば「不逞鮮人」が爆弾を持って日本に潜り込んだという根拠のない記事が掲載された。

 このような意識を強く持っていたのは、警察官や軍人であった。二一年一一月、原敬首相が東京駅で殺された時、犯人を捕まえた刑事が発した言葉は「お前は朝鮮人じゃないか」であった。実際には政治に不満をもつ日本人青年による犯行だったが、警察官は反射的に犯人は朝鮮人と考えたのである。そのような反応を示したのは警察官だけではなかった。原敬首相暗殺を伝えた新聞の号外は「原首相鮮人に刺され/東京駅頭にて昏倒す」「突然群衆の中から〔中略〕二十四五歳の朝鮮人風の一青年現われ出て」(『大阪朝日新聞』二一年一一月四日号外)と書き、恐るべき存在としての朝鮮人イメージを広めている。

 このような風潮の中で、日常生活の場でも日本人が朝鮮人を不穏視するような事件が起こっていた。例えば、震災の五カ月前、横浜市内で人参の行商をしていた朝鮮人が「演説」を始めたところ、野次馬の日本人がそれを「不穏な文句」だとして朝鮮人を袋叩きにし、二人に重傷を負わせる事件があった。新聞記事では、行商人が日本に反抗するような決議文を街頭で読み上げたとなっているが、いかにも不自然な理由づけである。さらには、「上海陰謀団の有力者が横浜に入りいずれかに潜伏中であるので、それらの関係だろうと県高等課では大活躍を開始している」とも付け加えて、独立運動の陰謀をほのめかしている(『東京朝日新聞』二三年三月三一日朝刊)
    −−水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』岩波新書、2015年、18ー21頁。

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