覚え書:「記者の目:アイヌ遺骨返還問題」、『毎日新聞』2013年05月21日(火)付。



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記者の目:アイヌ遺骨返還問題

北海道報道部 千々部一好

研究者のモラル確立を

 北海道大や東京大、京都大など全国11大学が、「人類学の研究」と称して明治時代から戦後までの期間に墓地から集めたアイヌの遺骨が1633体に上ることが4月、文部科学省の調査で明らかになった。遺骨は大半がばらばらに保管され、氏名すら分かっていない。死者を冒瀆する実態に、アイヌ民族への差別を感じた。遺族は遺骨返還を求めているが、取材を通じ、大学側に真摯な態度を感じられなかった。大学側は正しい歴史認識を踏まえて研究者のモラル確立を図り、そのうえで遺骨返還に真正面から向き合うべきだ。

史料認めぬ大学
「資料なし」疑問
 軽種馬の産地として知られる北海道日高地方。そこに浦河町の杵臼墓地がある。軽種馬の放牧場に隣接し、立派な墓石が目立つ和人墓地の脇にアイヌの墓がある。北大を相手取り札幌地裁に遺骨返還訴訟を起こした原告の一人、城野口ユリさん(80)の先祖もここで眠る。だが、北大の研究者が戦前から戦後にかけ、墓を掘り起こして遺骨や副葬品を持ち去った。「あの世に行って、ご先祖様からお前は何をしていたのかとしかられる」。そう言い残して1985年に亡くなった母親の言葉が城野口さんの脳裏に焼き付いているという。
 2008年6月、国会はアイヌ先住民族とする決議を採択した。アイヌの権利擁護を検討する政府のアイヌ政策推進会議は11年6月、返還可能な遺骨は大学が遺族に返し、めどの立たないものは北海道白老町に造る施設で国の主導で尊厳ある慰霊を行うとの方針を示した。これを受け、文科省が全国の大学のアイヌ遺骨の保管状況を調査した。
 アイヌの遺骨は、明治時代から東大、京大、北大の人類学の権威者が中心となって、「アイヌのルーツや人類学の研究のため」との理由で墓から掘り起こした。中でも、北大は掘り出された遺骨全体の約3分の2の1027体を保管しており、その実態を独自調査して報告書にまとめ、今年3月末、公表した。
 報告書によると、遺骨収集は1931〜72年に北海道内の46市町村をはじめ、樺太(サハリン)と千島列島で行った。頭と体の遺骨がばらばらに保管され、6割以上が頭骨だけだった。個人の特定ができたのはわずか19体だけだった。北大は「研究後の管理が適切でなく、問題があったと言われても仕方ない」と、ずさんな管理を認めた。しかし、アイヌの一部から出ている「盗掘された」との指摘には、「裏付ける資料はなかった」と明確に否定した。
 だが、報告書に疑問点は多い。遺骨収集の1次資料となる発掘人骨台帳や、研究者が記録したフィールドノートについて「作成されたのは疑う余地がない」と認めながら、「所在は不詳」と結論づけた。医学部が08年1月まで、発掘人骨台帳の複写物があると認めながら、同年8月に大学側が内容を確認しようとしたところ、「保有しておりません」と返答した。医学部の改修などで研究室が移転し散逸したとしているが、その理由には合点がいかない。

聞き取り実施し
尊厳守る姿勢を
 目を世界に転じれば、国連の「先住民族の権利宣言」(07年9月採択)には遺骨返還の権利が明記され、米国や豪州、ニュージーランドなどでは具体的な返還手続きが進められている。北大の小田博志準教授(文化人類学)は、ドイツのベルリン医科大が11年9月、旧植民地のナミビアで収集した遺骨20体を返還したケースを例に挙げ「ベルリン医科大は、この問題に誠実で透明性のある対応をした。遺骨を管理する大学は、これをモデルにできる。遺骨収集の敬意を明らかにするため学内で保存する文書だけでなく、遺族や発掘関係者らへの聞き取り調査も行うべきだ」と指摘する。その通りだと思う。
 アイヌ遺骨問題で批判にさらされた日本人類学会(会長、松浦秀治・お茶の水女子大教授)は06年、「研究は人権と人間の尊厳を尊重しなければならない」とする研究倫理の基本指針を作った。アイヌ遺骨の収集で対象者の同意や研究の趣旨説明などが不十分だったとの反省に立ったものだ。だが、問題点を指摘された北大などの対応は、問題を過去のものとみるだけで当事者意識に欠けている。
 アイヌには就職や結婚などで長く差別を受けてきた歴史があり、それを繰り返してはならない。研究者や大学は遺骨問題を先住民族アイヌの「苦難の歴史」を清算する一つの機会と捉え、問題解決に誠心誠意、対応すべきだと思う。
    −−「記者の目:アイヌ遺骨返還問題」、『毎日新聞』2013年05月21日(火)付。

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覚え書:「書評:黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避 [著]指田文夫 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。




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黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避 [著]指田文夫
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■偉丈夫はなぜ徴兵されなかった

 映画監督の黒澤明は壮健な偉丈夫だったが、徴兵体験はない。軍務経験もゼロである。自伝で、徴兵司令官が父の教え子だったため兵役を免れた、と書いている。著者は徴兵制度に情実があり得たか、と疑問を抱く。
 調べると召集延期の条件には、××に従事して必要欠くべからざる者、という項目があることを知る。続いて戦時下の映画会社の実態を調べる。黒澤の会社では、極秘で航空教育用の映画を製作していた。教官不足のため、映画を教材に用いたのだ。軍部の御用だから、余ったフィルムを劇映画に流用できる。黒澤は会社の宝であり、戦病死した山中貞雄の先例をくり返したくなかった。本人に内緒で軍部に手配りをした。
 黒澤は兵役未体験が心の負担になった。「静かなる決闘」の主人公の描き方に、その辺の心理が現れている。およそ黒澤映画らしからぬ、うじうじと悩む男−−という風に兵役義務の観点から考察した、新鮮な黒澤作品論である。
    ◇ 
 現代企画室・1995円
    −−「書評:黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避 [著]指田文夫 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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偉丈夫はなぜ徴兵されなかった|好書好日




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覚え書:「書評:犬の伊勢参り [著]仁科邦男 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。




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犬の伊勢参り [著]仁科邦男
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]歴史 


■群衆と動物が入り交じった時代

 犬が伊勢参りをした最初の記録は一七七一年だそうだ。それ以来まさに「ぞくぞくと」犬の参宮が見られたのだった。本当なのか? それにしてもいったいなぜ?
 本書は数々の疑問に答えながら、その全体で江戸時代の人と動物の関係を描き出した。江戸時代の犬は里犬だった。個人が飼っているのではなく、町や村が放し飼いで育てていたのである。つまりハチ公のような忠犬はいなかったのだ。食べ物と眠るところがあればどこへでも行く。誰かが首に参宮と書いてある木札といくらかの銭をかけておけば、多くの人々が宿と食べ物を世話し、次に送り出したのである。この送りかたは、抜け参りの人々の送り方と同じである。さらに人々は、参宮犬が通ると他の犬が吠(ほ)えない、伊勢に着くと拝礼するという伝説を作ってゆく。
 犬だけではない。田畑で働く牛も、当時はほとんどいないはずの豚も、伊勢参りをした。豚は日常では食べないので家畜としては飼われていないのだが、朝鮮通信使を迎える広島や岡山では放し飼いになっていたという。そこで豚の伊勢参りとなる。
 こうなると人々は一種の奇跡、神の意思を信じることとなって伊勢はさらに賑(にぎ)わう。そのムードを盛り上げたのが、天からお札が降ってくるという奇瑞(きずい)である。こちらは仕掛けがある。高い山や木に登り、葦(あし)でお札をはさみ、下の方に団子や油揚げを串刺しにしておくと、カラスやトンビがくわえる。食べてしまったあとでお札が下に落ちる、という仕掛けである。
 本書の全体から聞こえてくる聖域の静寂と喧噪(けんそう)、厳粛と猥雑(わいざつ)、群衆と犬や豚や鳥たちが入り交じる生活のエネルギーが実に楽しい。
 近代になると犬は個人が飼うものとなり、その他は野良犬とされて殺されるようになった。近代的秩序というものだ。どちらが犬にとって良い世の中なのだろう。
    ◇
 平凡社新書・840円/にしな・くにお 48年生まれ。毎日新聞記者を経て元毎日映画社社長。著書に『九州動物紀行』。
    −−「書評:犬の伊勢参り [著]仁科邦男 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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群衆と動物が入り交じった時代|好書好日





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