人間主義

是非ともその存在を抽象的概念に変換してしまうことが「不」必要

- わたくしが、これらの存在者(=隣人)を絶滅する用意をせねばならなくなるその瞬間から、まったく必然的にわたくしは、亡ぼさねばならないかもしれないその存在者の個人的実在についての意識を、失ってしまう。かかる人格的存在を蜉蝣(かげろう)のごと…

人生の息づかい、人生の魂と丁寧に向き合うこと

- 人生の改造ですって! そんなことを平気で論議できるのはですね、なるほど経験だけはいろいろと積んできたかもしれないが、一度として人生のなんたるかを知ったことのない連中、人生の息づかい、人生の魂を感じたことのない連中だけですよ。そういう連中は…

覚え書:「金言:「タイ洪水」の伝え方=西川恵」、『毎日新聞』2011年10月21日(金)付 + タイ洪水被害者救済のための寄付金受付について(タイ大使館)

- 金言:「タイ洪水」の伝え方=西川恵 タイの洪水についての日本の新聞、テレビの報道に違和感がある。7カ月前に3・11を体験したばかりの日本であればこそ、タイの被害の状況への関心と配慮、我々の政府はタイに何をしているか、それは十分なのかなど、…

「人間を歪めるもの」に対する抵抗は、イデオロギーが先行してはなりませんよ、ホント

- ……エラスムスは、人間を歪めるものを正しくしようとしたのに対し、ルッターは、人間を歪めるものを一挙に抹殺打倒しようとしたのでした。前者は、終始一貫、批判し慰撫し解明し通すだけですが、後者は、批判し怒号し格闘して、敵を倒そうとしたのです。ル…

「誰かが自分を正しく幸福にしてくれるのではないのです。自分で自分と闘い、自分を少しでもよくしていくしかないのです」。

- 今の世の中はどこかおかしいと、誰もが感じています。政治家もおかしい。経営者もおかしい。役人もおかしい。子供たちもおかしい。どこをどう改革するべきか議論も盛んです。それはそれで大いに必要でしょう。 しかし、社会といっても結局は一人一人の人間…

餓死目前の人々に、あなたは実は仏そのものだと説くことが、果たしてどれほど意味のあることなのだろうか……。

- 天台宗をはじめとする伝統仏教の色濃い影響を残しながらも、日蓮が『立正安国論』において独自の世界を切り開くことができた原因はどこにあったのだろうか。 『立正安国論』執筆に先立つこと七年の一二五三年(建長五年)、日蓮はいわゆる「立教開宗」を行…

行いつつ知ること、知りつつ行うこと

- 心情の理解は単なる理解でなくして、それは同時に行為であるが如き理解である。「愛」、詳しくは「神の愛」の概念はまさしくこのことを現わす。愛は理解と行為との合一である。我々はパスカルが神の認識における実践的なる要素を高調しているのを到る処に…