研究ノート

研究ノート:内在的超越としての普遍宗教 西田幾多郎のティリッヒへの言及

- 輓近に至って、ヨーロッパ文明の前途を憂える人は、往々中世への復帰を説く(Dawsonの如く)。しかし大まかに歴史は繰返すといわれるが、その実は歴史は繰返すものではない、歴史は一歩一歩に新たなる創造である。近世文化は、歴史的必然によって、中世か…

研究ノート:「内閣政治」と「民本政治」の違い

美濃部達吉といえば「天皇機関説」の問題で、ある意味では戦前日本を代表する良識といってよいですし、その憲法学の水脈は戦後日本にも受け継がれています。しかし、その「限界」というのも承知することの必要性、そして「乗り越えられた」と思われがちな「…

日記:簑田胸喜による矢内原忠雄批判

昭和初期、言論抑圧で重要な役割を果たすのが民間の右翼言論人、とりわけ簑田胸喜になりますが、「狂信的」と形容するにふさわしい言論活動で、数々の良心を屠ってきましたが、まさに「狂信的」であるが故に、その実際の研究というのがほとんどされていない…

研究ノート:普通選挙に反対した山川均

- 一九一八年九月、原は政権の座に就く。原は第一次世界大戦をはさむ前後で欧州の没落とアメリカの台頭を予測した。この国際情勢認識の的確さが政友会の地位の向上をもたらす。その結果が原内閣の成立だった。 政友会の対欧米協調路線を対米協調に引きつけて…

日記:無人による支配

- 官僚制とはすなわち、一者でもなければ最優秀者でもなく、また少数者でもなければ多数者でもなく、だれもがそこでは責任を負うことのできない官庁の匿名のシステムであり、無人による支配とでも呼ぶのが適切であるようなものである。 −−ハンナ・アーレント…

研究ノート:反ユダヤ主義の反ナチズム闘争のヒーローという問題

- 問題はこのようなキリスト教揺籃期の受難物語の元説が、ヨーロッパ中のすべてのキリスト教徒を途方もないユダヤ人憎悪に追い込んでいったという事実にあるのですが、それがユダヤ人問題として急速に加速されたのは、イベリア半島におけるレコンキスタ(八…

研究ノート:南原繁と吉野作造

- (2)人間人格と自由の精神 南原思想の現代的意味を尋ねるならば、その一つは何と言っても「人間人格の自由」「良心の自由」の根拠、神的な根拠を語って、それによって実践的に生きたことでしょう。その「良心の自由」は、彼にとっては人間性に生得的なも…

研究ノート:「ハイゼンベルクの不確定性原理」についてのひとつのまとめかた

- ハイゼンベルクの不確定性原理 不確定性原理とは、一言でいえば、「この世で人間にわかることには限界がある」というものです。主体が客体を正確に観測できるという、近代科学の大前提が成り立たないことを唱えた、一種の思考実験でした。 科学において、…

研究ノート:朝鮮人が来るなら来てみろ(和辻哲郎)、関東大震災下での知識人たちの反応から見えてくる人種主義の原像

- 酒井 …… 今回、『思想』の関東大震災の特集号を読んで、学ぶところが実に多かった。人文科学系の人は、ほとんど朝鮮人襲撃の話をしています。ということは、ほとんどの人がその風評を聞いて憂慮していたということだと思います。朝鮮人の襲撃は東京の火災…

書評+研究ノート:シーナ・アイエンガー(櫻井祐子訳)『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』文藝春秋、2010年。

- コカ・コーラは一八八六年に発明されて以来、攻撃的でしばしば巧妙な広告戦略を通じて、消費者の心とアメリカ文化の中にしっかりと根を下ろしてきた。コカ・コーラ者は、イメージが製品そのものより重要だということに、いち早く気がついた企業だ。この一…

研究ノート:「内村鑑三は、近代の日本文学を否定することによって、近代文学に寄与した」。

- 逆説的な言い方をするならば、内村鑑三は、近代の日本文学を否定することによって、近代文学に寄与したのである。内村に接した文学者たちは、多かれ少かれ、この内村の文学観を知っていた。それが、結果的には、たとえ無意識にせよ、彼らの文学の彫りを深…

なぜ、ロールズはグローバルな不平等に無関心だったのか

- なぜ、ロールズはグローバルな不平等に無関心だったのか 『正義論』を読んでジョン・ロールズを知った人たちは、この節のタイトルに驚いたことだろう。結論から言うと、ロールズはまさしく、平等主義を強く支持する立場をとっている。しかし、「平等からの…

研究ノート:日蓮のもつバイタリティ 中村元×鶴見俊輔対談より

- これからの仏教 鶴見 少し話がずれるんですが、そういうふうに世界を見渡して考えると仏教はどういう方向へといくんですか。 中村 やはり若干の特徴が現れています。まず一つは、超宗派性です。古い昔からの宗派というのがその区別の意味をもたなくなりま…

研究ノート:関東大震災下における中華民国の救護支援

- 一九二三年九月一日、日本で世界を震撼させる関東大震災が発生した。その翌日、上海の『申報』はいち早くこの地震のニュースを報道し(1、地震発生三日後には中国の主要新聞が相次いで関東大震災を大きく報道し、日本が蒙った大きな災害に、異口同音の同…

研究ノート:上杉思想の本質的な点への批判を怠った結果は、国民にとってよいことはすべて国家が引き受けるという官僚的国家主義への批判の弱さにつながった。

- 美濃部にせよ吉野作造にせよ、大正デモクラットは、国家的な規範価値が国民の内的要求と一致すべきことを要求した。そしてこの「民心」は二〇世紀欧米自由主義のなかに準備されているものと同質であると信じた。だから彼らは、官僚層もまたこの自由主義に…

研究ノート:中沢新一は、一種の超越なきパラダイス論

- 超越なきパラダイス竹田 中沢新一は、一種の超越なきパラダイス論*を立てていると思うんです。彼は天国のことや無限に微分化され続ける差違の領域というようなことを言うわけです。それは要するに、差違のパラダイスですね。ところが、それは全然まずいん…

丸山眞男「内村鑑三と『非戦』の論理」についての覚え書

twitterのまとめですいません『丸山眞男集』第5巻(岩波書店)読了したので所収の『図書』(岩波書店、1953年4月号)に掲載れた「内村鑑三と『非戦』の論理」について覚え書き。「明治の思想史において最も劇的な場景の一つは、自由と民権と平和のわれ人と…

レヴィナスの「慈愛」と「正義」、センの「共感」と「コミットメント」

- 先のタルムード解釈をレヴィナスに促した動機のひとつに「飢え」と「飢饉」があった。いつかテクノロジーはこの課題を解決するだろうとの展望を抱きながらも、レヴィナスは国連などの介入によってもこの課題がまったく解決するされていないことを指摘して…

「近代社会は、あらゆる側面において、基本的に文書化されることで組織されている」

- 僕は東大の駒場キャンパスで一九九六年から足かけ三年間、「立花ゼミ」というのを開講しまして、そのゼミのタイトルは最初の二年は「調べて、書く」、三年目は「調べて、書く、発信する」としました。 タイトルを「調べて、書く」にしたいといったら、東大…

自己の存在が他者性とどのように交差するのか……。

- 自身の責任を完全にとることの不可能性は、〔人が体験を〕物語として再構成する際につきものの、単純化できない主体と主体の間の文脈によっている。私が自らの人生を物語として再構成する際には、必ず主体間の一定の文脈内で行うのだ。が呼びかける命令に…

研究ノート:ケルゼン、多数決原理の由来としての自由の概念

- 自由の理念から、多数決原理が導き出さるべきものであって−−多く起りがちであるような−−平等の理念からではない。人間の意思が相互に平等であるということは、多数決原理の前提とはなりうるだろう。しかし、この平等であるということは単なる比喩であって…

【研究ノート】新渡戸稲造の愛国観……人道正義の競争として

- 我国には国を愛する人は多くあるが、国を憂うる人は甚だ少い。しかしてその国を愛するものも盲目的に愛するものがありはせぬかを虞る。かつてハイネの詩の中に、仏人が国家を愛するは妾を愛する如く、独逸人は祖母を愛する如く、英国人は正妻を愛するが如…

【研究ノート】何らかの弁明の理由がありうるとしても、奴隷制が、奴隷や社会にとっての不利益を十分に上回る利益を奴隷所有者にもたらすということは、決して奴隷制についての弁明の理由ではありえない

- 奴隷制の一定の黙認が正当化されているか、あるいは多分それよりはましであろうが、その弁明の理由があるという状態を検討してみるならば、これらの状態がかなり特殊な種類のものであることがわかる。おそらく、奴隷制は過去から受け継いだものとして存在…

【研究ノート】人間の自己完成、そうした努力における究極の自己目的化の陥穽

- 儒教徒のばあい、富は、始祖の残した言葉が明らかに教えているように、有徳な、すなわち品位ある生活をおくり、かつ自己の完成に没頭する、そうしたことができるためのもっとも重要な手段だとされた。したがって、人間を向上させるための手段は何かと問わ…

西洋の哲学と東洋や日本の伝統思想とではどこがちがうのだろうか。

- ……西洋のと東洋や日本の伝統思想とではどこがちがうのだろうか。まさにそのことを問題にして橋本峰雄(「形而上学を支える原理」、岩波講座『哲学』第十八巻「日本の哲学」一九六九年、所収)は次のように書いたことがある。 すなわち、《明治以前のわが国…