教養教育

語る対象が最初からあるのではなくて、大勢の人がある現象に注目して、それについて語るようになる

- 一般論として、学が産に協力すること事態は頭から断罪はできない。世の中の財を産がつくっている以上、そこに学が貢献することは、巨視的には公共のためになるはずなのである。ただ、問題は貢献の仕方なのだ。私企業の短期的利益のためだけに、大学の教育…

「伝統というものは常に歴史的につじつまのあう過去と連続性を築こうとするものである」から、その馴化の薄皮を剥がしていく「ゆるふわ」な時間について

- 起源の捏造・伝統の創造 なぜ、女ことばの起源についての言説が発生し、このように価値づけされた女房詞や敬語が持ち出されたのでしょうか。それは、女ことばを「日本が古くから保ってきた伝統」と位置づけるためです。「伝統は創り出される」という視点を…

老人に用なし死ねといふかこの冬

- 老人に用なし死ねといふかこの冬 堀内竹嶺(『愛吟』一九四〇年四月号) 老人は足手まといになるだけでなんの役にも立たないというのが戦争である。同時に、子どもは邪魔扱いされるはずだが、百年戦争であるかぎり、やがて兵士になる彼らは大切な「人的資…

研究ノート:「内村鑑三は、近代の日本文学を否定することによって、近代文学に寄与した」。

- 逆説的な言い方をするならば、内村鑑三は、近代の日本文学を否定することによって、近代文学に寄与したのである。内村に接した文学者たちは、多かれ少かれ、この内村の文学観を知っていた。それが、結果的には、たとえ無意識にせよ、彼らの文学の彫りを深…

「だから何なんだ」と問い続けること

- 「自分で考える」ということ そんな失意の中、七一年の春休みに帰省し、知人が持っていた一冊の本『自分で考えるということ』(澤瀉久敬著、角川文庫)のタイトルに惹かれた。一晩借りて読了した。「自分で考える」ことの手ほどきを手取り、足取りといって…

書評:小林ソーデルマン淳子・吉田右子・和気尚美『読書を支えるスウェーデンの公共図書館 文化・情報へのアクセスを保障する空間』新評論、2012年。

- あらゆる方法で図書館の魅力を子どもたちに示すことができるのは、小学校から中学校までの九年間にかぎられている。というのも、フィンスカテバリには高校がないため、高校に進学した子どもたちはべつのコミューンまで通学するようになるからである。 九年…

覚え書:「【書評】江戸の読書会 前田勉著」、『東京新聞』2012年12月16日(日)付。

- 【書評】江戸の読書会 前田 勉 著 ◆異見を認める自由な精神 [評者]姜 信子 作家。著書に『棄郷ノート』『うたのおくりもの』など。 明治維新から百五十年このかた、日本の近代のはじまりを告げた御一新にあやかって、なにかと維新を叫ぶ人々が繰り返し出…

覚え書:「みんなの広場 教養教育の大切さを考えよう」、『毎日新聞』2012年12月09日(日)付。

- みんなの広場 教養教育の大切さを考えよう 大学生 19(京都市上京区) 大学に入学してから発見したことがあります。一般教養科目のおもしろさと奥深さです。第一線で研究されている先生方の授業で、知的好奇心をくすぐられます。将来の損得勘定を抜きにし…

覚え書:「【書評】わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田オリザ著」、『東京新聞』2012年11月25日(日)付。

- 【書評】わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田 オリザ 著 ◆演劇使う授業の効用 [評者]土佐 有明 ライター。音楽・演劇・文芸などの分野で論評を執筆。 文科省のコミュニケーション教育推進にもかかわった演出家が、演技論、日本…

試験のための読書だった。人と会話するときの話題のための読書だった。知識のための読書だった。それが、ここでは楽しみのために読書するようになった。

- ベイトマンはどさりと椅子に座り込んだ。 「君が理解できない」 「変化は僅かずつやってきたんだ。ここの生活が次第に気に入ってきた。のんびりとして気楽だ。住民は人がいいし、幸福な微笑をいつも見せている。僕は考えるようになった。以前は考える余裕…

学ぶべき価値のある言葉は、日本語と英語だけだと考えているような人は間違っています。…英語ではだめなのです。保証しますよ。

- 多数言語によるコミュニケーションの重要性 最後にもう一言申し上げたいと思います。 当時においても、現在においても、別の言語で学んだり話したりすることを学ぶために注がれるエネルギーの量には驚くべきものがあります。情報を伝え、効用を伝え、考え…

知識や経験の蓄積を通して行為をすること、そしてもうひとつは、蓄積することなく、生きるという行為のなかでつねに学んでゆくこと

- ……私たちが話しているのは二つの種類の学ぶことについてです。ひとつは知識や経験の蓄積を通して行為をすること、そしてもうひとつは、蓄積することなく、生きるという行為のなかでつねに学んでゆくことです。片方は技術的なことには絶対に必要なものです…

本来的な意味での〈語ること〉は、どんな対象よりも先に他人に対して口を開ける意味することであって、諸記号の交付ではない。

- 〈語ること〉、それは隣人に接近し、隣人に向けて「意味することの口を開く」ことである。このような〈語ること〉は、説話として〈語られたこと〉のうちに刻印される「意味の給付」に尽きるものではない。本来的な意味での〈語ること〉は、どんな対象より…

学んだことを忘れてゆくという経験。自分が経てきたさまざまな知や文化や信念の堆積に、忘却がほどこす予期しない手直しを自由におこなわせてゆくということ。

- ミシュレは、五一歳のとき、新たな人生(vita nuova)を始めた。新たな仕事、新たな恋愛を始めた。私は彼よりも年をとっている(この比較が親愛の情から出ていることはわかっていただけよう)が、私もまた今日、この新たな場所で、この新たな厚遇によって…

覚え書:「みんなの広場:読書が大好き、お薦めは物語」、『毎日新聞』2012年8月2日(土)付。

- みんなの広場 読書が大好き、お薦めは物語 中学生 13(埼玉県狭山市) 私の一番好きなことは読書です。電車の中で、家で、学校で。いつも持ち歩いている本は、私にとっての必需品です。 特に読むのが、電車での移動時間中です。何もすることがないこのよ…

大学の建物の正面に掲げるべきは、《教育と研究のために》ではなく、《至高の教育としての研究のために》という標語であるべきでしょう。

- 第三の点、これを私はゲルマン的と名づけたいのですが、しかしこれについては、私はいくつかの激しい反駁にさらされなければなりませんでした。−−私は大学というものは他の教育施設とは根本的に異なったものであると考えています。大学の建物の正面に掲げ…

「孔子もアリストテレスも、『昔々あるときに』生きていたえらい人というよりは、偉人は偉人でも隣りに住んでいて、垣根の向こうから声をかけてくれる日常生活のつき合い相手」として

- 私の先生で、数年前に故人となった南原繁という学者がいます。南原先生と話をしていて談たまたま『論語』に及ぶと、先生は「あの人はね」云々というのです。「あの人」というのはむろん孔子のことです。けれども「あの人はね」といわれると、何か孔子が同…

「学問とは何ですか」「それは知る喜びである」

- 学問そのものへの問いのなかで、とりわけ矢面に立たされた教科が一般教育でありました。教養を重視した新制大学の理念として各大学に設置された一般教養でしたが、高校の科目の単なる延長とみられたり、専門科目との関係づけの不十分さが表面化しました。 …

「95年、東京の地下鉄でサリンガスによって市民を虐殺するテロ事件がありました。この犯人は以下のA〜Eのどれか。1つ選択して選べ」みたいな「歴史」化が進むことへの恐怖といらだち

- 歴史は暗記? −−でも、歴史が得意だからといって特別いいわけでもないしな……。あと、確かに暗記科目っていうイメージはある。 そうです、学科目としての歴史は、かわいそうなのです。高等学校までの歴史が「暗記もの」のように思われてしまう理由は、試験…

書評:藤原聖子『教科書の中の宗教 −−この奇妙な実態』岩波新書、2011年。

「教科書が、意図的ではなく結果的に、特定の宗教的信仰を受け入れさせようとしてしまっている」、「教科書がある宗教を他の宗教より優れているとしたり、逆に宗教にある宗教に対して差別的な偏見を示している」問題について藤原聖子『教科書の中の宗教 −−こ…

書評:J.S.ミル(竹内一誠訳)『大学教育について』岩波文庫、2011年。

- 人間が獲得しうる最高の知性は、単に一つの事柄のみを知るということではなくて、一つの事柄あるいは数種の事柄についての詳細な知識を多種の事柄についての一般的知識と結合させるところまで至ります。(中略)広範囲にわたるさまざまな主題についてその…

書評:リチャード・ホーフスタッター(田村哲夫訳)『アメリカの反知性主義』みすず書房、2003年。

アメリカの「正義」を根柢から支える「知性への敵視」という伝統リチャード・ホーフスタッター(田村哲夫訳)『アメリカの反知性主義』みすず書房、2003年。 本書の主題は、アメリカ合衆国が建国以来、広く社会に浸透している「反知性主義」。まず、建国と密…

新入生へのちょっとしたアドバイス:「何かを教えてくれる」から「自分で問いを探究する」へ

新入生へのちょっとしたアドバイス 大学で授業をしていると「何か教えてくれる」という姿勢で参加される学生さんの姿をよくみかけます。その真剣な姿には、襟をただしたいと思いますし、その求めに全力に応じていかなければならないと私は思います。 しかし…

哲学を学ぶ「私たち蝶々は非常に不確定で、大地の上に安全にすわって満足している人びとから見るとおそらくたいへん滑稽」ですがそこに学ぶ意義が存在する。

- 哲学的な生活態度の目標は、到達可能な、したがってまた完成されるような状態として定形的に表現されないものであります。私たちの状態は私たちの実存のたえざる努力やその断念の現象であるにすぎないのです。私たちの本質は「途上にあること」なのです。…

一般教養教育をうけた者とは、安直で好まれやすい解答に抵抗できる者のことである

- 一般教養教育とは、正確にいって、学生を助けてこの問い(=「高貴な熱望にかかわる問い、『人間とは何か』という最大の問題のこと……引用者註)を自分で立てられるようにすることを意味する。答えは明らかではないが、かといって見いだせないわけでもない…

「『思索人の如く行動し、行動人の如く思索する』というベルグソンの言葉」を餞に

- 現代の知性人とは如何なるものであるかという問いに対して、「思索人の如く行動し、行動人の如く思索する」というベルグソンの言葉をもって答えることができる(第九回国際哲学会議におけるデカルト記念の会議に寄せた書簡)。ところで思索人の如く行動し…

なにかを知るということは、身軽に飛ぶということではなく、重荷を負って背をかがめること

- 私が学校教育や読書から得られる知識に重きをおかないのは、やはり同じ理由からです。人々は知識を得るということに、根本的な錯覚をいただいている。人々はなにかを知っているということによって、より高く飛べるようになると思っているようです。いまま…

覚え書:「哲学対話:小学生が楽しく テーマは人生、死、平等など 実践授業広がる」、『毎日新聞』2012年1月9日(月)付。

- 哲学対話:小学生が楽しく テーマは人生、死、平等など 実践授業広がる ◇互いに問い考え深める 勉強する意欲に直結 小学校で哲学対話の授業が広がっている。先生を「進行役」に、人生や運命、幸福、平等を堂々と語り合い、小学生が哲学対話を楽しむ。哲学…

『はたしてそうか』と問いを投げかけつつ思考すること

- 思考が自らを展開するためには、すなわち未来へと向かうためには、たえず思考はその過去へと遡らねばならないようなのだ。一切他の思考に関わることなしに、みずからの力だけで歩む思考というのはありうるだろうか。一見そうした思考があってもよさそうに…

覚え書:「記者の目:北杜夫さんを育てた旧制高校=澤圭一郎(東京社会部)」、『毎日新聞』2011年11月25日(金)付。

- 記者の目:北杜夫さんを育てた旧制高校=澤圭一郎(東京社会部) ◇今こそ「教養教育」が必要だ 「学校の勉強以外で教師や友人と深く触れ合ったのが、旧制高校でしたね。私は松本高校(長野県松本市、現信州大)に入ったことが人生の転機になり財産になった…