告白・独白・毒吐の日々

語る対象が最初からあるのではなくて、大勢の人がある現象に注目して、それについて語るようになる

- 一般論として、学が産に協力すること事態は頭から断罪はできない。世の中の財を産がつくっている以上、そこに学が貢献することは、巨視的には公共のためになるはずなのである。ただ、問題は貢献の仕方なのだ。私企業の短期的利益のためだけに、大学の教育…

「伝統というものは常に歴史的につじつまのあう過去と連続性を築こうとするものである」から、その馴化の薄皮を剥がしていく「ゆるふわ」な時間について

- 起源の捏造・伝統の創造 なぜ、女ことばの起源についての言説が発生し、このように価値づけされた女房詞や敬語が持ち出されたのでしょうか。それは、女ことばを「日本が古くから保ってきた伝統」と位置づけるためです。「伝統は創り出される」という視点を…

1名から100名への道(ぇ

水曜日は前期集中ですが千葉の短大にて「倫理学」を担当しておりますが、今週から授業が始まりました。昨年は6名の履修でしたが、今年の初講は……ガイダンスになるので登録はまだ……100名近くの学生諸氏が参加しており・・・「びっくら」こいた次第です。…

病院日記(1) よりそう言葉について

病院でバイトしはじめまして一週間になりましたので、その印象録をひとつ。コミュニケーションの問題についてです。 ※ディベート等は割愛します。世の中には、話題や趣味を共有することに喜びを見いだす、井戸端会議のような「会話」というものがあります。…

キャンパスの花々

このところ、ものすごく忙しく、なかなか更新できずすいません。 先週の金曜から授業も始まりましたの、キャンパスの花々でもひとつ。

おどろきの神経内科・外科神学

4月1日の新年度より、看護助手の仕事をはじめました。昨日で2日目。 神経内科・外科の担当ですが、まさに患者さんの入院生活を清潔・快適に保ち、医師・看護士がスムーズに仕事ができるように「準備の準備」をする仕事といえばいいでしょうか。医療の世界…

「日本の航空技術100年展」の特別展示「零戦展示」への「旅」

- 人はなぜ旅をするか 中村 インドの哲学者や行者には、どこかにこもり、じっと一か所にいて瞑想にふけり、真実を深めている人がいます。 しかし、私はやはり旅をしたい。旅をしますと、非常に新鮮な感銘をうける。旅は自分がもっていないもの、あるいは自分…

arrived

さて、個人的な状況報告が続き申し訳ございませんが、昨日は雨の中の引っ越しでしたが、一夜あけると快晴。ベランダから雄大な富士山を拝見することがきました。四月一日から新年度。さらに勢いをつけてがんばっていこうと思います。

move

さて本日は、夕方からお引っ越し。 近所ですが、10年くらした家を後に、新居へ。しかし、引っ越しやさんの手気の良さに驚いてしまいます。前提としては、お金を払ってという商売にはなりますが、金額以上のことをして頂いたというのが実感です。ありがとう…

第27回卒業式、おめでとうございます。

- ――ただ気の向くままに―― おおそうだ。気の向くままに放浪さえしていれば、俺には希望があった、光明があった。放浪をやめて、一つ土地に一つ仕事にものの半年も辛抱することが出来ないのが、俺の性分であった。人にコキ使われて、自己の魂を売ることが俺に…

絶望工場日記(2)

- ごく一般的な話として、あらゆる種類の領域において全面的もしくはほぼ全面的に技術(テクニーク)が支配するとき、いたるところで悪が優勢になることは避けられない。 技術者はかならず支配者たらんとする。自分たちこそ問題を熟知する専門家だと感じてい…

いまやわれわれの学問は、国家権力の目的に奉仕するためにではなく、真理は真理として自由に研究し、自由に発表することでなければならない

- いまやわれわれの学問は、国家権力の目的に奉仕するためにではなく、真理は真理として自由に研究し、自由に発表することでなければならない。かくあってこそ、大学は真に国家の再建と人類の福祉に貢献し得るのであろう。政治家が、「理論人」である学者の…

むかしの東京も、マドリードに劣らぬほどの緑に包まれていたのだよ

- 緑陰 数年前の晩夏に、スペインの首都マドリードへ行ったとき、同行の若い友人のS君が、石造りの大建築群を圧倒するような濃い緑にびっくりしていたが、私は、こういった。 「むかしの東京も、マドリードに劣らぬほどの緑に包まれていたのだよ」 「ほんと…

人間は、定点観測をしていないと、つまりその前を知らないと、それがどんなふうに変わったのかということも分からない

- 人間は、定点観測をしていないと、つまりその前を知らないと、それがどんなふうに変わったのかということも分からないわけです。前を知らないと、破壊の後のすさまじい被害の状況を見ることしかできない。僕は、自分の知っている土地が、震災後の歳月の中…

ボールペンで残された思索の軌跡

そういえば、大人になってから、ほとんど鉛筆やシャープペンシルをつかっていないことに気がついた。思い返せば、たぶん、高校時代ぐらいから鉛筆やシャープペンシルよりも、ボールペン(水性・油性を問わず)を使う比率が高くなったように思う。もちろん、…

「旅客来りて嘆いて曰く」だよ

ちょっといくつかのニュースを紹介します。(ニュース1) - 【政治】厚労相「全体で引き下げ」と明言 生活保護の支給水準 2013年1月16日 19時35分 田村憲久厚生労働相は16日午後、生活保護の支給水準(基準額)について「全体として引き下げることになる…

「文字ではなく私の精神(ガイスト)を聞いて欲しい」……ってほど大げさではありませんが

- 私は1949年度の東大法学部の授業で、当時、総長をしておられた南原先生の政治学史(=ヨーロッパ政治理論史)を受講しました。幸いなことに、それは、先生にとって最終講義の年に当たっていたのでした。それまで、いっこうに法学部の勉強になじみを覚…

我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ 

- 我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ 読人知らず −−三二二、「巻六 冬歌」、『古今和歌集』。 - 2013年初の東京での降雪。記録的に写真で少し残しておこうかと思います。東京都・小平市周辺の様子ですが、15cmぐらいつもって…

虚言をなすことなかれ。知りながら詐りをしないようにせよ。

- 虚言をなすことなかれ。知りながら詐りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると思ってはならない。(八つの詩句の章・九三一) −−中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波…

現在には、究極性をいれる余地がない。未来もそうだ。

- 現在には、究極性をいれる余地がない。未来もそうだ。なぜなら、未来は、やがて現在がそうなって行くものにすぎないからである。だが、こういうことは知られていない。わたしたちの内部で、究極性とつらなっている欲求の尖端を現在にあてがってみれば、そ…

「全体の未来を守るという責任性」という観点から

- 責任性の感覚というのはどういうことかといいますと、人間がみずからの命を守っていくことと同時に人間以外のすべての生あるものの未来、たとえば動物種、植物種の未来、音楽や芸術や映画といった非身体的な価値の未来、あるいは時間に対する人間の関係の…

「さいきんのわかいものは」よく考えている

- 長谷川平蔵の足どりがゆらゆらとゆれはじめた。気もちがよかったので、二人がのんだ酒は相当の量であり、平蔵がこれなのだから、忠吾のほうはたまったものではない。 「ああ、たまりませぬ。ああ、もう……ご、極楽でございます……こ、こうなるともう、やはり…

絶望工場日記(1)

- 労働者の根こぎ 完全に、たえまなく、金銭に縛れている社会階層がある。賃金労働者である。なかでも、出来高払いの賃金体系が導入されて以来、小銭(スー)単位の勘定にたえず注意をむけざるをえない労働者がそうだ。根こぎの病はこの階層において先鋭化さ…

「軽く」いくはずが「重く」といういつものパターン

どうでもいい雑感ですいませんが、木曜日は授業のあと、教員バスでいっしょになった英文学のF先生と、、、「軽くイキますか?」、、、などという話になりましたので、二つ返事で、「重く」、、、行ってしまった次第です。ちょうどF先生のお知り合いの米文…

雑感20121203

うへぇ、今日から年末の工場(ライン作業)アルバイトが始まってしまう。 大学の非常勤で家族もいるわけですが、当然、それだけでは生計が立たない訳でして、致し方なしということです。工場で仕事をすること自体に、なにかわだかまりのようなものは特別あり…

濡れてほす 山路の菊の 露の間に いつか千歳を 我はへにけむ

- 仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる 濡れてほす 山路の菊の 露の間に いつか千歳を 我はへにけむ 素性法師 『古今和歌集』「巻五 秋歌下」(273) - 先日、非常勤先の大学へ出講しましたら、正門のよこで15回目になる「菊花展示会」を開催してお…

知識や経験の蓄積を通して行為をすること、そしてもうひとつは、蓄積することなく、生きるという行為のなかでつねに学んでゆくこと

- ……私たちが話しているのは二つの種類の学ぶことについてです。ひとつは知識や経験の蓄積を通して行為をすること、そしてもうひとつは、蓄積することなく、生きるという行為のなかでつねに学んでゆくことです。片方は技術的なことには絶対に必要なものです…

智を愛すること、すなわち真の哲学の姿

- 哲学は英語でフィロソフィーと言う。ソフィーは古代ギリシャ語のソピア、ラテン語のソフィアに由来して「智」を意味し、ギリシャ語のフィロスは「愛する」とか「求める」という意味なので、哲学は「愛智」の学と言い換えることができる。今回の講義は、視…

自分自身、「判断ができない」“真空地帯”ってヤツが、生活世界の中には存在するなあ

- 政治に情熱は必要だが距離をおくことが必要である。政治はきわめて厳粛〔重大〕な行動であるからむしろ生一本の情熱ではだめであるという paradox がある。 a sence of humour があるということは、観念に人間が使われず、人間が観念を使うために必要であ…

西洋におけるヒューマニズムの源泉となったギリシア哲学においては知性も或る直観的なものであった

- 西洋におけるヒューマニズムの源泉となったギリシア哲学においては知性も或る直観的なものであった。直観的な知性を認めるのでなければプラトンの哲学は理解されないであろう。ルネサンスのヒューマニズムにおいても同様である。デカルトは近代の合理主義…